えこひいき日記

2008年1月5日のえこひいき日記

2008.01.05

あけましておめでとうございます。
年賀状、年賀メールなど下さった方々、ありがとうございました。こちらからの書状、メールは失礼させていただいておりますが、うれしいです。ありがとうございます。

さて、この2ヶ月ほど、「えこひいき日記」の更新をストップしていた。この件に関して、多くの方々からメールや口頭にて「どうしたのか?!」という問い合わせやご心配をいただいた。私が思っていたよりも多くの、いろいろな方々にご覧いただいていることを知り、率直に驚いた。ありがとうございます。書かなかった理由は後で書くとします。

「最新情報」にあるとおり、昨年12月末にフローテーション・タンクを撤去した(アーカイブはこちら)。タンクを設置していた部屋は書斎にすることにし、レッスン室にあった書籍をほとんどそちらに移したので、少しレッスン室が広くなった。ちょっと快適になったかと思う。
それにしても、書類や書籍を書斎に移し、部屋のレイアウトを変える作業には3日を当てていたのだが、一瞬、永遠に終わらないのではないかと思った。タンクの撤去作業や大きな家具の移動などはひとに手伝ってもらったが、3日間の作業は一人で行っていた。いつも思うのだが、本棚から本を出すとどうして「増える」のだろう。縦に並んでいたものを横にしただけなのに、ほんとにこれは同じ量のモノなのか、と思う状況になってしまう。床を覆いつくして行く手を阻む書籍と書類の入った段ボール箱たちに、エイリアンの卵群を発見してしまったリプリーのような絶望感を感じてしまった。一瞬だけど。
書籍の山や散乱した家具や小物が、自分の所有物(しかも捨てるものじゃなくて、必要なもの)なのに忌まわしくもエイリアンの卵に見えるのは、その落ち着き場所が定まっていないからである。定まっていないから、ひとさまに手伝いを頼むこともできない。作業を開始する前に、一応「こういう感じかなー」という家具の配置などは考えていたのだが、実際作業を始めてみると「違う」と感じる箇所が何箇所かあった。限られたスペースと溢れかえる物。変えようのないモジュラージャックや電源の位置、そして光が差し込む方向。それによって変えがたい条件になる作業動線。そういう「どうしよういもないもの」を読み込みながらも、それらが「なんとかなった」と感じる方向を探さねばならない。一旦ここと思う場所にそれをおいてしまえば、一体私は何を迷っていたのか、どうしてこんなことを思いつけないでいたのか、そのことのほうが意外に思えるのだが、思いつけないうちは何一つ動かせない。だから思いつくまではごたごたに置かれた家具と書籍の間で、何かを必死で待っているような気分でただ立ち尽くしていたりする。
そういうのって、文章を書くときの気持ちと似ていたりする。書きたいことはあるのに、どう書いていいのかわからない。どういう言葉に置き換えていいのかわからない。言葉が見つかり、文章として自分の中から流れだすまでの、死んでしまいそうな感じ。あれとちょっと似ていると思ってしまった。

「日記」の更新を止め、過去の「日記」までもサイト上から一旦消したのは、「書く」ということがどういうことなのかわからなくなったからである。なんで書くのかとか、書くことと考えること、書くことと伝えることの関係とか、わからなくなってしまったのである。書くことに関してはこの1年間くらいずっと苦しかったのだが、いよいよわからないまま漫然と書くのは耐え難くなったので、書くのをやめて自分の文章をサイトから消した。
自分の文章を削除してみると、結構すっきりした。公式に販売している書籍よりも、どちらかといえば気軽なノリといえるこういう「日記」の文章でさえも、私は書いたものが読まれることによって何かが伝わってしまうこと意識していたんだな、とも思った。それはとりもなおさず、私って自分の書いたモノを意外と(?)大事にしている、書くことって、私にとって大事みたい、という発見でもあった。かつてのCOCCOさんみたいに「自分が書いた詞は排泄物にすぎない」とまで思っていたつもりはなかったが、もともとこのサイトだってレッスンの集中力をそぐ冷やかし半分の電話での問い合わせを減らしたくて開設したくらいだったので、ここに何かを書くことによってクライアントを集めたいと思ったわけではなく、むしろここにこなくてもいい人がこなくて済むように(実際そのほうが物理的にも感情的にもお互いさまざまロスが少なくて済むもん)と思っていた。でも、書いたものは「終わった」ものだからどう読まれてもいい、と書き捨てているわけではなく、意外と(?)どう伝わるのかを思った以上に気にしていたのね、というのは個人的には新鮮な再発見であった。結局人を寄せるのも払うのも「表現」、ということなのであった。あったりまえだけど。
もうひとつ、発見だったのは、私は書くために考えているわけではない、ということであった。「日記」にしろ、原稿にしろ、書かねばならないから書くことを考えるわけではなくて、私は書こうと書かまいと、けっこうずっと何かを考え続けているんだな、と感じた。書くことに苦しんで、書けようが書けまいが、書く必要があろうがなかろうが、書く(書ける)ときと同じように考え続けている自分がいたことは、私が「書く」ことに対して感じていたプレッシャーを逆に軽減してくれたような気がした。
あともう一つ、大きかったのはある編集者からのメールであった。そのメールを読んで、ぼろぼろ泣く自分がいた。書くことがわからなくなり、書けなくなった自分は、ある意味その人の世界から消えた人間になってもしかたがないと思っていた。だから編集者からメールが来たとき、生きている人から突然話しかけられた幽霊みたいな気持ち(って、幽霊になったことないけど)になった。「え、わたしがみえるんですか」みたいな感じ。自分がいかに書きたがっているのか、書けなくなる事を怖がっていたのかを思い知った。

スタジオの廊下の待合ベンチには、過去の「えこひいき日記」のプリントアウト・ファイルが置いてある。気がつけばそれも2年前の春でとまっていた。ファイリングのためにプリントアウトしながら、過去の自分の文章を読んでみた。去年の文章はやっぱりちょっと気に入らないんだけれども、でもどん底のときとは違う気持ちで客観的に読む自分もいた。で、ウェブ上に過去の文章も含め、再度アップすることにした。前のまんまである。特に加筆も修正もしていない。

しかしながら、自分の気持ちを再認識したところで、「書く」ことが私にとって何なのか、「書く」ことがどういうことなのか、わかったわけではない。依然としてわからないのである。わからないんだけれども、そのわけのわからないものを私はとても欲しているらしい、と思ったからそちらを向いてみるしかないと思った。本当に欲しいと思ってしまったなら、しかたがない。こんなに欲しいと思っているものが、もしかしたらどこまでいっても手に入らないかもしれないことを思うと死ぬほど怖い。でも、手を伸ばしてみる前からイメージの中で死ぬよりも、潔く手を伸ばしてだめだったら本気で傷つけばいい、と思った。またくじけるかもしれないけれど、どうかそう思い続けていられるように、と、祈るような気持ちで思っている。

あ、そういえば、タンクの撤去作業のとき、誤って廃材が足指の上に落下し、左の小指が腫れ上がってしまった。つい最近、やっと自力で普通に歩いて帰れるようになったが、直後しばらくの間は自宅まで至近距離なのにタクシー通勤だった。妙なものである。室内で仕事をしているときは痛みはあっても動けるのだが、靴を履くと、腫れのせいもあって靴内部でうまく足指が動けないので激痛になってしまう。痛くて何歩ずつか歩いてはうめくような状態なのに、「そうか、びっこひくとここの筋肉が疲れるのか」とか「荷物の重みがかかるだけで足底がこのくらい動くんだな」とか、痛みを感じているのとは別ウィンドウで思っている自分がいる。職業病だろうか。でも、そんなことを感じるためにわざわざ自ら怪我してみようと思うほど「病」ではないから、ただ感じていることを感じているだけともいえる。同時にいろんなことが起こっているからね、自分(からだ)の中では。
それにしても、小指のくせに親指みたいなサイズになってしまった足を見ていると、はしっこが両方親指みたいで、アフリカのなんとかいうトカゲを思い出してしまった。確か、尾が頭のようなサイズと形をしているトカゲ。天敵に頭を狙われないためのカムフラージュだという。ともあれ、自分の左足を見ていると「親指って、どうして親指なんだっけ?」みたいな気持ちにもなってきて、しばしくらくらしてしまった。アイデンティティクライシスというか、ゲシュタルト崩壊というか。そういえばエドワード・ゴーリーという人の『The Beastry Baby』では、この悪魔のような赤子は「両方とも左手」として描かれていた。「両方とも左手って、どういうこと??」と思って読んでいたのだが、要するに、胴体をはさんで両腕が対称のフォルムでぶら下がっているのではなく、両腕とも向かって左側に親指がついている状態の腕、ということらしい。そのときも「左手って、どうして左手なのかなぁ」と瞬時思ったが、あたりまえに「あれ」とか「それ」とか呼んでいるものの中にもわかっていないことって山ほどある。見慣れているからわかっているような、当たり前のような気分になっているだけで、本当にはまだみえていないことやわかっていないことがたくさんある。そいうものを雑に扱わずに対していけたらな、と思っているところである。

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