えこひいき日記

2009年9月9日のえこひいき日記

2009.09.09

先日、初めて「猫カフェ」というところに行ってみた。それは私にとって衝撃の体験だった。なぜなら「何も感じなかった」からである。自分でも相当意外。

私は猫が好きだし(一緒に暮らしてもいる)、野良猫さんにも嫌われるタイプではない。以前もこの「日記」の中で書いたことがあるが、道で見かけた猫さんを撫でたらなぜか気に入られてしまい、膝に登られて眠り込んでしまわれたので、20分間道端でスクワットのままだった、ということなどが一度や二度ではない。そんなわけで、猫が嫌いではないからこそ、猫カフェに行ってみようという気持ちにもなったのだ。

初めて行った猫カフェは、清潔な明るい印象の場所だった。空気清浄機が入れられ、猫トイレはスタッフルーム側に設置されていて、フロアもこまめに掃除されている。平日の夕方前という時間だったが結構お客さんがいて、それぞれに猫と遊んだり、写真を撮ったりしている。猫たちは、それぞれに気に入った場所(日のあたる窓際や、猫タワーのハンモックの中とか)でくつろいだり、眠ったりしていた。客は猫が嫌がりさえしなければ、撫でたり、おもちゃで遊んだりして時間を過ごす。
カフェでお茶を注文し、早速猫たちに触れてみた。猫たちは触れられても嫌がらない。というより、反応しない。知らない人から触られても「シャー」とか言って威嚇したり嫌がったりもしないのだが、それ以外のコトに関しても返ってくるものが極めて薄い。それは自分にとってすごく奇妙な感覚だった。何かに届かない、擬似的(何に似せてる??)な感じ。他の猫に関しても、一様にそうだった。彼らは人間(客)に関心していない。おもちゃで遊んで、走り回ったりもしたのだが、それでも「おもちゃには反応しても、こちらに反応していない」感じがして仕方がない。自分が感じていることに戸惑っているうちにお約束の時間は経過(猫カフェは時間制で、最初に1時間分の料金を払う。もちろん延長も可能)。帰ることにした。

道々自分が感じたことについて考えた。考えているうちに、「当然かもしれない」と思った。
猫カフェには入れ替わり立ち代りお客がやってくる。みんな猫がお目当てでやってくるのだから、猫たちは一日中注目され、撫でられることになる。それにいちいち有機的に反応していては身が持たない。彼らが有機的に反応するのは唯一、スタッフさんたちに対してだけである。カフェでも、フロアに出てきたスタッフに嬉しそうに駆け寄る猫たちの姿を見たが、私はそのことに救われるような思いがした。スタッフさんたちに対する猫たちの態度は、私が知っている猫たちの態度だった。体中で雄弁にしゃべり、相手をちゃんと見て何かを伝えてくる。そういうこと、そういう感情、ないわけでも出来ないわけでもないのね、ということに正直安堵を覚えた。
思えば、私が経験してきた猫たちとの関係は、獏とした「猫」との関係というものではなく、いずれも「個別」なものだった。個別の関係の対象が猫という種族だっただけ。たとえ野良の猫さんたちとのそのときだけの出会いでも、関係性は一対一。それと同一の関係を猫カフェでの猫たちとの触れ合いに求めても無理があるというものである。

関係性は、本質的にはサービスや権利で得られるものではない。でも、特にお金が介在すると、そういう錯覚が助長されやすい。猫カフェみたいに「人間と猫」という関係だと、猫のほうがそれに素直に反応してくれるから「そうだよね」と気づくチャンスも早めに来るのかもしれないが、「人間と人間」だと発覚が遅れる・・・どころか気づきそうになるのを「隠す」ことも多い気がする。親しい関係性が成立しているような、ひと時の錯覚やファンタジーを楽しむ・・・だといいんだけど、場合によっては節度を超えてしまうこともあるような気がする。
そういえば、もう1ヶ月ほども前、耳かき店に勤めていた女性に交際を迫った男がその女性と女性の祖母を刺殺した(勤めていた女性は昨日入院先で亡くなったという)、とうニュースがあったが、そういう事件報道を聞いていると本当に悲しくなる。関係性と行為の内容がつりあっていないこととか、つりあっていないことをつりあっているように似せて商売にしている行為が、世の中にあることは事実だ。それは、とりもなおさず「本当に誰かに好き・好かれることの難しさ」「本物を手に入れることの難しさ」を表しているのかもしれない。難しいから、簡単じゃないから、簡単に手に入ったような「錯覚」を売ることが商売にもなる。でも、錯覚にまみれると、本物はますます遠くなる。
本当にあなたが欲しいものは何?それは、めんどくさかったり、むつかしかったりしたら、あきらめるようなものなの?それとも、難しいのは嫌だけど、難しくても、めんどくさくても、手に入れたいと思うようなものなの?
それによって道は違ってしまう。

猫カフェの猫たちはけして不幸そうではなかった。そのことは、ちょっと嬉しかった。やはり私はどんな猫たちにもなるべく幸福でいてほしい。私との固有の関係性があろうとなかろうと。

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