えこひいき日記
2010年8月28日のえこひいき日記
2010.08.28
猫のことではいろいろな方にご心配いただき、また心を支えていただいた。ここにあらためてお礼を申し上げます。
猫は、相変わらず低く安定した状態。幸い食欲はあり、自力で食事が摂れてはいるが、下顎の腫瘍は大きくなっており、出血も止まらない。病院では基本的に「様子を見る(抗生物質や消炎剤の投与は続けている。あと、アガリクスの錠剤なんかも。「猫用」って、ちゃんと売ってあるのね)」方向で治療を続行している。
そんななので、私の朝は猫への投薬と床掃除、洗濯で始まることになった。
人間が起床し、猫への朝御飯の前に猫をひっつかまえて(「投薬だぞ」オーラを完全に消すのがポイント)投薬、および、閉まらなくなった口から流れ続けている血や唾液を毛からふき取る作業。腫瘍の影響で片目も瞬膜が出たままになっているので、点眼も行う。その間猫はずーっと怒っているのだが、人間は「はいはい、ごめんね。私が悪いです」と言いながらどんどんやってしまう。猫をリリースして、「さっきのことはなかったこと」というオーラを出しつつ、ご飯をあげる。この闘病生活が始まった頃は、投薬直後は猫もへそを曲げ続け「ご飯だよ」といっても「てやんでえ、さっきひどいことしたくせに」みたいな顔と態度をしていたのだが、最近は割合速やかに和解するようになってきた。
高齢猫はちびちびご飯を食べるようになるというが、うちもご多分に漏れない。それに顎がずれてしまっていることも加わっているので、食事風景はまるで「わんこそば」なのである。すなわち、猫のお皿にティースプーン1杯分くらいの缶詰ご飯をあげ、猫が食べ終わってこちらを見上げたら、またスプーンに1杯おかわりをよそう、というもの。かりかりを食べていてくれたときは手がかからなかったが、今は缶詰オンリーなのでなかなか大変ではある。ご飯にはこっそり腎臓メンテ用の薬やアガリクスの錠剤を砕いたものを混ぜたりもする。
また、なぜか猫は、今の今までうまうまと食べていたご飯を突然拒否することもあるので、缶詰は4,5種類を用意。なぜ今までうまうまと食べていたご飯が突然嫌になるのか、はたまたさっきまであんなにそっぽを向いていたご飯を平気で食べだすのか、皆目分からない。18年一緒に暮らしていても、さっぱりわからない。
ご飯が落ち着いたところで、人間の私はクエン酸スプレーやアルコール消毒液を片手に床掃除を始める。床に猫の血が点々と散らばっているからだ。口が閉まらないのと、やはり口の中が気持ち悪いのだろう、時々首を振って口の中の血を振り落とそうとする(猫は「ぺっ」ができないんだよね)。そのせいで、床や壁に血が飛び散るのだ。血は私の寝具にもついているので、シーツやまくらカバーは毎日漂白&洗濯。私の寝具はみんな白いので、血は目立つ。最初は、毎朝血のついた白いシーツを洗うというのはなんというサスペンス、などと思っていたものだったが、サスペンス気分を残しつつもあっさり慣れてしまった。
猫に学ぶことは多い。と、人間の私は思う。
私が救われているのは、猫がしんどいところしかしんどがらないことだ。具合が悪いところしか、具合が悪くない。あたりまえのようだけれど、人間ならきっとこうはいかない。顎に生じた不快感はあっという間に顎の領域を超え、それ以上のことになることだろう。そしてそれは気分を落ち込ませ、誰かに当たり散らしたり、できることまで出来なくさせていくかもしれない。でも、猫はしんどいところしかしんどがらない。顎がずれていて、血を流していても、寝心地の良い場所を探すのに余念がなかったり、ベランダの手水鉢に泳ぐメダカに興味を持ったりする。それとこれとは別なのだ。そういう姿に私はすごく救われ、教えられている。
最後まで、楽しく生きる、という勇気。人間の場合、それは「勇気」になってしまうのかもしれない。猫が自然にやっていることを、人間は「勇気」でもって自分の中の何かを越えなければできなかったりするのかも(あ、水木しげる先生は大丈夫かも)。でも、その生き方、正しいと思う。人間、頑張ります。