えこひいき日記

2010年9月4日のえこひいき日記

2010.09.04

今年の暑さはすごい。主観的に凄いだけではなく、観測史上的にも「113年ぶりの猛暑」なのだそうだ。113年前の人たちはどうしていたんだろう。現在のように「熱中症」という概念は浸透していなかっただろうが、今年のように熱中症にやられた人が続出していたのだろうか。夏ばてした人たちもたくさんいたのだろうか。

9月になってもまだまだ暑くて、果たして秋は来るのだろうか、と思ってしまうほどだが、それでも朝晩の風や雲の形が時々「夏の終焉」を明確にささやく。そうすると妙なもので、早く秋の服装がしたいものだ、などと思う。ノースリーブやら半そで、見た目にも涼しい色の服を着るのに飽きてきて、早く渋い色合いの服やら、重ね着やら、したいと思ってしまう。これはやはり四季の或る国の人間の感覚なのだろうか。例えば常夏や常春の国の人たちは、今の私のような感覚で自分の日常の服装に「飽きる」ということがあるのだろうか・・・などと考えたりする。夏が終わって秋の気配がするから、まだ暑いけど夏の服を脱ぎ捨てたい・・・あたりまえのようで、なんだか独特な感覚なのかもしれない、と、この猛暑の中思う。

この酷暑でありながら、私は幸い夏ばてせずに済んでいる。結果的に、というべきだろうが。だって、「しんどい」とは思うもーん。暑くても「しんどくない」わけじゃないんだもーん。感じているから「配慮と対処をしよう」とは思う。どうすることが本当にしたいことにかなうかを。
例えば私の場合なのだが、暑くて「しんど」と思ったらこまめに昼寝をする。クライアントの合間の5分間でも、するのとしないのとでは全然違う。「5分しかないし」とか「休んでいる場合じゃない」とかいってそのままでいると、後でけっこうどっとくるのだ。どっとくると回復が遅れる。精神的にもダメージがきて、明るいことなんかなーんも考えられなくなるし、当然納得できる行動も考えも出てこなくなる。
もちろん時間のゆとりは5分間より15分間のほうがいい。15分より1時間もらえたら気持ち的にも凄くゆとりが持てる(まあ、1時間あると「これを皆休みに当てるのはもったいない。この暇があったらこれを済ますことが出来るのに」などと思ってしまうかも知れないが、そのときどういう判断をするかも自分次第だけど)。あるいは、しんどいなどと感じずに仕事が続けられる状況であればさらに理想的なのかもしれない。でも、「今、(欲しいけれど)ない」ものに焦点を当てても仕方がない。「今、ある」ものを「ある」と認めて、何を作り出せるかだけが現実に私に出来ること。そういうふうに思える精神的体力をキープできるようにしておく、というのがそもそもポイントなのかもしれない。そう思えなくなるところまで、体力的にも精神的にも自分を追い詰めないでいよう、と思えるには、けっこう冷静さが必要だと自分でも思う。
自分のしていることを「冷静」などというのは面照いが、心を鬼にして客観的に書くと、「冷静さ」とは性格というより「対応策」、身につけた「やり方」の一つなのだと思う。要は、「やれることをやれるようにやる。可能な限り戦わない」という意識だ。その意識に夏も冬もない。いわゆる「夏ばて対策」というほど特別な意識で行っているわけではなく、四季を問わず恒常的に心がけている私的な「やり方」なんだろうと思う。

逆に、あくまで結果論だが、「夏ばてをしてしまいました」という方の話を聞いていると、「夏と戦ってしまった」人が多いような気がする。「暑さに負けちゃいけない」、つまり「この暑さ」という「いつもと違う」状況に「応じて」自分の行動やスケジュールに変更をかけることは「いけないこと」、「負け」のように感じてしまっている、みたいなのだ。あるいは「どうすれば勝てるか」と、「勝ち」にこだわった策をめぐらし、かえって疲労、というような。
どういう応じ方をするべきか、そのへんは確かに悩ましい。でも、チャレンジしてみたことが一発で成功や正解に導かれなくても、過大に敗北や失敗と受け取らないでいて欲しいな、と思う。少なくとも、試してみたことでどう自分に合わないか、どの程度は合うのかはわかったわけだから、やってみた価値は無ではないと思う。もしもその試行を無意味にしてしまうものがあるとしたら、「一発オーケー」という「成功」に囚われて、それ以外の出来事を自分を責めるか他人を責めるかで終わらせてしまうことだと思う。試行の中から必ず汲み取れるものはある。どうかそれを見逃さないで欲しいと思う。
もちろんこれは「夏ばて」限定のお話ではない。

まあ、自然現象に「勝とう(何の影響も受けないでいよう)」と思うこと自体、生き物としておこがましかろ、という話なんだけどね。だって自分の肉体自身、自分で作って生まれてこれないし。だからといって人間が無力というわけでもない。出来ることはある。でも出来ないこともある。出来る必要は必ずしもないのではないかということも。それを見分けていくのが大事なのかもしれない。

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