えこひいき日記
2011年3月19日のえこひいき日記
2011.03.19
「風邪のときに、少しでも体調をよくするからだの使い方って、ありますか?」と聞かれたことがある。
「うーん。ない」というのが私の返答だったと思う。「あー、やっぱり」と笑いつつも残念そうなクライアントさん。「でも、できることはありますよ」と私は続けた。「下手のいつもどおりに動こうとしないこと。風邪という今の体調を正当に受け入れることです」と私は答えた。
風邪とか、ちょっとした怪我とかって、時々ややこしい。確かに体調がよろしくないんだけれども、何にも出来ないというわけでもない。このくらいだったら、いつも通りやっちゃってもだいじょうぶじゃない?と、誰に問うでもなく問答して、勝手に承諾された(誰に?)気分になったりする。というか、いつも通り動けない自分が、怖い。このまま「いつも」に戻れなくなるんじゃないか、誰かに後れをとるんじゃないか、誰かから怠けているように思われるんじゃないかと思うと、怖い。こんな想いをするくらいなら、無理でもいつもどおりする方が、らく。
そしてやってみると本当にいつも通りできなくもないのだが、この「いつも通りを保とうとする」というのがかえって悪化の元になったりもする。回復を遅らせ、風邪の状態を長引かせる。
風邪のときには、風邪であるようにふるまうのがよいのだ。いつもより動作が鈍くなったり、作業が遅くなったり、少なくなったり、元気がなくなったからって、いいじゃん。それが「正常」じゃん。風邪なんだから。そして風邪は治るんである。「余計な事」さえしなければ。
…そのことを、都市部を中心に起こっているという「買いだめ」の騒動をニュースで見て、思い出した。
今現在はTV・CMもほとんど「AC」のになっているけれども、普段だったら「頭痛、生理痛に負けない」とか「疲れてなんかいられない」等のコピーを冠した医薬品のCMなんかもたくさん流れていたと思う。そうね、負けてらんないよね。でも、痛いのって、負けなのか?疲れって、負けなのか?感じなくなればほんとに「負けてない」ってことになるのか?
本当に保たなくちゃいけない「日常」って、なんだ?
多少予想はしていたことだったが、体調を崩す人が続出。数日間はレッスンやメールのやり取りでもそのようなことばかりだった。
例えば、災害報道を見続けて「自分の周りが廃墟になる」という幻を観るようになってしまった人、災害報道を見続けるのが辛いと思っているのに「そこから目をそらせるのは、自分だけが現実から目をそむけていることになるのでは」「被災者を裏切る行為では」とテレビの前に座り続けて体調を崩す人、自分が助かったこと、無事でいること、今すぐに救援などの活動ができないことに罪悪感を覚えてやはり体調を崩す人…。
連絡が取れなかった被災地の親族や友人と連絡が取れた途端、安心感を得ると同時に具体的な現地の状況がわかって、体調を崩す人、家族や友人が消防や公共事業関係に勤めていて被災地に派遣されることになり、心配から眠れなくなる人…
あるいはこんなケースもあった。募金やチャリティーの企画を考えたのだが、それに賛同してくれる人がいる一方で「偽善だ」「自己満足にすぎないのでは」「自分のできる範囲でのチャリティーなんて、甘いんじゃないですか」などという意見を浴びて、考え込んでしまう人。「自分にできること」を考えたくてネットの掲示板やらコミュニティー・サイトを見てみたが、見るごとに混乱してしまって、どうしたらいいのかますますわからなくなってしまった人…
それぞれの立場にそれぞれ異なった意見が存在する。Aという意見が出て、Bという意見も出てくる。そこにCという提案や反論が加わる…それ自体はとても正常なことだと思う。物事にはいろんなとらえ方があるし、やり方がある。
その一方で、人はみな「確実なやり方」「正しいやり方」を探している。チャリティー批判も、その善意の部分を汲めば、より確かな方法を選びたいがこそだろう。
その「正しいやり方」が「唯いっこしかない」、他者の意見と自己の意見が完全に一致したところにしか「正しさ」はない、と思いこんでしまったときに、膠着と不毛な批判は蔓延する。
そういえば、寺山修二さんも言ってたな。『正義の最大の敵は悪ではなく、別の正義なんだ』と。
他人と違う自分、他人と違う「正しさ」を持つのは不安が付きまとう。これでいいのか、本当に正しいのか、と迷う。それは苦しいことかもしれない。でも、その苦しさは間違っていないと思う。その不安こそ、他人か自分かじゃなくて、他人と自分とが見えている証拠だと思う。
選ぶことは偏ることだ。AとBとCがそれぞれ正しくて必要でも、AとBとCを同時に一人でしようとすると無理がある。だとしたら、Aが得意な人がAをすればいいし、Bができる人がBをして、Cがバックアップしてくれればいい。それが「正しい」ってやつじゃないかな、この場合。
自分のできることをしよう。
被災地の人は、何も非被災地の人に助けは求めても犠牲など求めてなどいないと思う。
今できることをしよう。そして「今」は刻々と変わる。元気な人でも時に風邪をひき、でもずっと同じ症状じゃなくて、だんだん良くなるように。
「今」をちゃんととらえて、進もう。