えこひいき日記
2011年5月10日のえこひいき日記
2011.05.10
日々の業務に明け暮れ、九州に仕事に行き(JR九州の新幹線のCMに泣いた!博多でタクシーの運転手さん3人がみんなその話をしてきた。私の移動は飛行機だったんだけどね・・・)、帰ってきたらビンラディンが暗殺されててたまげ(正直言って、アメリカのやり方には暗澹たる思いがある。やはり嫌なものである。ひところして喜ぶの)、少し休んでまた業務、という日々である。
そんな中、中部電力が大きな決断を下した。いよいよ大きな変化が始まる。とても大変だけど、ただしい変化だと思う。おっし!関西でも、節電がんばっちゃうぞ!
変化する必要性を感じていても、滑らかに速やかに変化する方向に動いていける人は、多くはない。
変化する必要性を口にしながらその後必ず「でも・・・」というフレーズで「変わらなくていいんじゃないか、まだ早いのではないか、あるいは今さら遅すぎるのではないか」を口にして、自分の言葉に絡め取られて、立ち止まってしまう、という人は少なくない。
そういう人たちは事が極まると、自分で壊せなかったものを他人に壊してもらうことを期待する。無意識に破壊の到来を待ちわびていたりする。破壊の大きさに変化の大きさを重ね合わせたりして。そうしたことの表れの一つとして、病気になったり事故にあったりすることも少なくない。
そうまでしても大きな意味での質、恒常性を保とうとする人間の生理にある種のたくましさを感じたりもする。と、同時に、もう少し自分で気がつけないものか、とも思う。自分で気がつこうとすると、自分の見たくないものも見なくてはいけない。認めなくてはいけない。何かに気付かされるのを待つか、自分で気付くことをするか。どっちがいいのか、簡単にはいえない。でもどちらにせよ、できるほうをするしかないだろう。変わるべきなら、変わるべきなのだ。