えこひいき日記
2011年11月14日のえこひいき日記
2011.11.14
以前(今年の夏のころだったと思う)、NHK・BSで放送された猫と作家をテーマにした番組の中で町田康氏が「猫と暮らす理由」をこんなふうに表現していたと記憶している。
猫は「ままならぬもの」で、モノを書くのにそれが必要だから、と。
猫は、人間の思い通りになってくれない。だから憎たらしい、と思う人もいると思う。でも、人間の「思い」の範囲に納まることだけが起こり続けるものならば、「世界」にはなんら新しいことも興らず、神さえもいない。自分の脳の中で完結して腐ってしまうだけの「世界」。そう考える人も、またいるのだ。
自分の「思い」の範囲を超えることが起こって、そしてその「起こったこと」のほうが自分が当初思い描いた「思い」の世界より、「ただしい」。そう感じてしまったら、もう笑って「世界」を受け入れるしかない。ただ状況に流されろというのではなくて、主体的に流れに身を任せることを選ぶのだ。
私の場合、仕事で接する「からだ」がそうだと思える。ここへ来る人は「自分のからだが思い通りにならない」と、まるで「からだ」が反逆者か厄介者のように思っていることもある。だから「からだを自分に従わせる方法を教えてください」と言ってきたりする。
しかし私の目にはしばしば本人の言っていることのほうが暴力的で無茶で無法に思える。その動きには向かない部位を無理矢理使おうとしていたり、動かない苛立ちや焦りからやたら力任せになっていたりと、「する」ことばかりに夢中になって起こっていることを無視した「問答無用」の態度を「からだ」という名の「現実」に取り続けていたりするのだ。
そんなふうに書くと、その人がものすごい「乱暴者」のように思えるかもしれないが、そうではない。本人はただ熱心で、一所懸命なだけだったりする。いわゆる、かなり「いい人」だったりもするのだ。
暴力的な行為をする人がいわゆる暴力を好む乱暴者とは限らない、
というところは、この仕事をするようになってつくづく知るところとなった、人間の面白悲しいところである。
だから目を向けてみる必要がある。本当には何が起こっていて、本当は何がしたいのか、出来るのか。例えば、「からだ」という「現実」を通して。
しかし「猫」も「現実」なのである。
私に起こったことも我が意のままにはならぬ、が、「ただしい」現実であった。
何が起こったかというと、ことの起こりは約1ヶ月前、私が動物保護団体から子猫を預かったことから始まる。現在私のところには、6月から「うちの子」になったアビシニアンの奏(そう)が居る。彼は、前の飼い主さんのところで「3匹で暮らしていた」ということもあり、「お仲間が居たほうがいいかな」などと思い、相性がよければ「うちの子」にする予定で子猫を預かったのだった。綿毛のような毛並みの、ふわふわの黒猫の女子である。「まる」と名づけた。
結果的に、これが私の誤りだった。「3匹で暮らしていた」は必ずしも「3匹で幸福に暮らしていた」「彼にとって3匹で居ることが幸福であった」とは限らない、と気がつくべきだった。もちろん、やってみなければ気付きようもないことだとはわかっている。それでも、心情としては、奏に謝りたい。
奏は無邪気な子猫の振る舞いを大人らしく耐えた挙句、声が出なくなってしまった。ある朝、口をあけているのに声が出ていない奏に気がついた。声が出ていない意外には、食欲にも動きにも異常はない。動物病院に連れて行く時間の関係から、とりあえず、奏を伴って事務所に行った。
事務所について「他の猫が居ない!自分ひとり!」と気がついたときの奏の振る舞いは劇的だった。あからさまにハイになって走り回り、かつてない勢いで私に甘えてきた。その様子から、いかに子猫に遠慮していたのかが伺えた。
猫には不思議なルールがあるのか、年下の猫が自分に対していかに無邪気な暴挙を働いてもある程度「手加減する」ものらしい。子猫が、子猫らしい遠慮のなさで彼の目の前で私に甘えようとも、ものすごい勢いで自分のご飯を食べ終わり彼の皿にまで顔を突っ込んでこようとも、奏は暴力によって子猫を抑圧しようとはしないのだった。彼の身体能力を持ってすれば、ちびっ子を制圧するくらい造作もないはずなのに。少し「しゃー」とか言って怒るものの、「あぁぁ、もう、僕はいいです」みたいな感じでどこかに行ってしまったりするのだ。
動物病院の医師によると、奏の声が出ないのはいわゆる喉風邪のようなものらしい。全体的な健康状態は悪くないし、子猫も彼もワクチン接種は済ませているので重症化する心配はないが、子猫の激しい新陳代謝とウィルス排泄に接して少し免疫が衰えたほうが羅患してしまったのだろう、とのことだった。免疫の穴。それにはストレスが無関係ではなかろう。
ということで、奏は自宅には戻さず、しばらく事務所に居てもらうことにした。子猫は、かわいそうだが保護団体に帰ってもらうか・・・と思っていたところ、時々私のペットシッターをしてくれている友人が「引き取る」と言ってくれた。めでたし。ただし友人が子猫を引き取れるのは工事中の自宅が完成してから。それまでは私がどうにかして面倒を見ることになった。
ところが!
その友人が引き取る約束をした直後に、コンビニでがりがりの子猫(黒猫!)を拾い、私のところに持ち込んできたのである。「この子も飼う」と友人は言った。いいけど、それ、引越しまで面倒みるの私なんだよな・・・という現実を目の前に、私は戸惑った。体調を崩している奏、ここに慣れ始めている引越し待ちのまる、彼らのバランスをとりながら暮らす算段をするだけでも大変と思っていたところへ新たな子猫!とりあえず、子猫は簡易ゲージで寝てもらうことにした。名前は、拾った友人が「ホラー映画『呪怨』に出てくる白い人(?)みたいな声で鳴いていた」と言ったことから「寿音」に決定。
予想はしていたことだが、拾われ子猫はお腹で虫を飼っていた。蚤の卵も見つかった。そのために食べても食べてもがりがりだし、お腹も壊しているので、何処でもトイレをしてしまう。診察中も寿音は私の背中に登ってそこでうんちをしてしまった。こういうことを見越して、ビニール袋とペット用ティシューを用意していく自分もなんだかなあ、と思うのだが。おそらく回虫の卵なんかも含まれているうんちを背中でたれられても「いいや、家に帰って洗濯したらおしまい」と思っている自分が自分で奇妙だ。猫だからって、全てを許しているわけではない。何もしても許すなんて思っていない。でも、「現実」に対応しようとするとこういう振る舞いになってしまうのかもしれない。とりあえず、帰宅した私は着ていたセーターを洗濯機に放り込み、敷いていたカーペットをはがしてこれも洗濯機に放り込み(猫と暮らしている手前、うちで使用しているカーペットはみんな「洗えるカーペット」なのだ)寿音が粗相をしてしまいそうなところにはペットシーツを敷いて(それでも無印のビーズクッションが犠牲に。これは大型ゴミで廃棄するより仕方のない汚れ方になってしまった)、除菌ティシューやアルコール・スプレーを配備した。まるや奏に蚤がうつらないよう、背中にたらすタイプの薬剤やシャンプー、カーペット用の薬剤も購入。寿音のワクチン接種は虫の下りようと体調をみて、1週間後と決まった。
同じ「現実」でも、対「猫」の現実とは違うのが対「人間」の現実である。
子猫の診断結果を友人に知らせた。友人は、平謝りに謝ってくれた。こんな迷惑、かけるつもりじゃなかった、ごめんなさい、と。でも謝りながら怒り出した。だって、あんな子猫を放っておけないじゃないか、そんな顔でこっちを見て微笑むのは止めてくれないか、馬鹿にされているみたい、と言い出した。
因果なもので、そういう時、私の感情は相手の「怒り」に反応しない。友人は、厳密には私に対して謝罪もしていないし私に対して怒りを感じているわけでもない。ただ、上手くやれなかった自分に腹を立てているのだ。ちゃんとやりたかったのに、ちゃんとやれなかった。そのとき思いついた「最善」と思った行為が結果的に最善の行為ではなかった(友人は「拾ってすぐに夜でも開いている動物病院を探して診てもらうべきだった」と言った)。そのことを悔やみ、やるせない気持ちの出口が、そんなかたちで開いてしまう。内情は察するが、態度がよろしいとは思わない。そして私だって嫌な気分にならないわけではない。いや、大いに嫌な気分なのだ。でも、それを膨らませるのは私の趣味ではない。友人が私の顔をなんと思おうが、関係ない。やらなくてはならないことは粛々と決まっているのだ。
新たに寿音が逗留することになったことで、奏をいつ自宅に戻すかが問題になった。当初は早々に事務所の奏と自宅の子猫の居場所チェンジをするつもりだったが、寿音のワクチン接種がまだの今、それが済むまではチェンジは延期か・・・と思われた。
しかしコトはまたまた急展開!新たな猫の存在など知りもしないはずの奏なのだが、子猫が拾われて3日目に、奏はお尻から血を流して苦しみだした。お腹を壊し、便には血が混じっている。すぐさま病院へ。最初は、まさか子猫の回虫が移ったの?!と心配したが、そうではなく、いわゆる腸炎。喉に来ていたものが今度は腸に来たのだ。ストレスが関与したものである。事務所に避難して「ひとりっこ」になったはものの、考えてみれば事務所はやはり仕事場。「おうち」とは違う。夜になれば私は居なくなるし、仕事中は私は人間のほうに集中しいる。私が人間のほうに集中していても、邪魔もせずにそばで見ていた奏。どんなに寂しかったことか。気がつけばこの数日で体重も減ってしまっていた。私はなんと至らない飼い主であったことか。
奏の様子を見て「もう猶予はならぬ」と判断し、その日の夜にチェンジを決行することにした。友人にも手伝ってもらい、それぞれの猫たちの持ち物(ご飯、おもちゃ、詰めとき、寝床や毛布、猫砂、トイレ、食器、もろもろ)を荷造りし、猫たちをキャリーに入れ、それぞれの居た場所もきれいに掃除・消毒してから、それぞれ入室。
自宅に帰ってきた奏は、ゆっくりと部屋の中を歩き回った後、いつも気に入って爪を研いでいた場所に伸び上がって爪を研いだ。それから少しだけ出されたご飯を食べ(もう事務所では食べなくなっていた)、迷わずお気に入りのハンモックに登っていって眠った。そのまま朝まで眠った。私はそれを見て思わず泣いてしまった。
家移りをして、子猫チームも落ち着いた。順調に仲良くなり、友人の態度も落ち着いた。人間どもの当初の目論見とはずいぶん違ったオチになってしまったのだが、ついてしまえばこのオチのほうが「ただしい」と思える。こんなオチ、頭では思いつきも望みもしなかったことだけれども。でも、「ただしい」のだ。
ところで、今回の奏の話をすると、何人かの人から「猫って、家につく、っていいますが、奏君は違うんですね」と言われた。「猫が家につく」といわれるのは、猫が家の中と外を行き来した状態で自分の「世界」を作っている場合なのではなかろうか、と私は思う。家の外にも出る場合、家と家の周辺の地理的なロケーションは彼らにとって「おうち」と思える場所認識の重要な要素となることは、想像に難くない。だが、私の家の猫はマンション猫。いわゆる完全室内飼いである。彼らにとって「おうち」を構成するものは、家の家具や匂い、そして人なのだ。
奏がうちに来て約5ヶ月。その2ヵ月後には引越しも経験した。そういうことから、私の認識の中にも「ここはまだ奏のなかで「おうち」としては存在の薄い場所なのではないか」と思っていたような気がする。でも違った。私が認識していた以上に、「ここ」が奏の「おうち」であり、私が彼の「家族」だったのだ。
その後も1週間は、一日おきに猫の誰かを連れて病院に通っていた。幸い奏は自宅に戻ってからみるみる回復した。快活さが戻ってきて、以前にも増して甘えっこになった。よく食べてくれるようになり、体重も回復してきている。
このことがあってから、私は時々「おうち」について考えるようになった。HOME。自分の居場所。自分が居たい場所。「おうち」ってなんだろう。広いこの世界の、何処に、どういうふうにして、自分の「おうち」はできるんだろう。
まるにしても、寿音にしても、どうして種の違う人間にあそこまで近寄れるんだろう。甘えられるんだろう。「餌をもらいたいからだろう」という人もいるかもしれない。それもあると思う。でも、たとえそのためだとしても、あそこまで全身で飛び込めるだろうか。ほしいもののためにあそこまでまっすぐ向かっていけるだろうか。例えば私なら・・・。
猫らだってそうやって自分で世界を切り開いて生きていっているんじゃないかと思う。単に人に依存したり、人から与えられるがままではなくて。要求したり、ちゃんと病になったりして、「世界」に自分の姿勢を示しながら生きている。それが「おうち」をつくっていくことってことなのではなかろうか・・・と。
私はどうだろう。