えこひいき日記

2012年4月30日のえこひいき日記

2012.04.30

私が「猫」を好きになったのは、メフィーの死後のような気がする。それまではメフィー(享年18歳。NYからつれて帰った。“全てを支配する”ふわふわ黒猫)やネリノ(享年8歳。NYから連れ帰り、奇跡的魅力で“猫嫌い”だった実家に好かれ、そちらの猫になった。神経質な黒猫)が好きだった気がする。メフィーに感じたようなモノを「猫」全般に持っていたかというと、それほどではなかった気がする。

メフィーが死んで変わったことは、動物保護団体に不定期だが継続的援助するようになったこと。メフィーの死後に震災が起こったというのも大きかったと思う。
直接には出来なくても(実際の保護活動など)、出来ることをしようと思った。それがわずか過ぎて無力に思えるほどでも。以前なら「わずか過ぎて無力に思える」のほうに囚われていたと思う。「わずか過ぎて無力」なことは「無いのと同じ」で、「その程度しか出来ないことがつらい」「無責任になりかねない」「恥ずかしい」と思っていた。その「無力」に思えることでさえも自分にはそれなりの労力を要するのに、しなくてはならないことは尽きない。そのことに「あらかじめ」打ちのめされていたように思う。
でも、どのみち私に出来ることはわずかなのだ。それは正確な意味で「無力」ということとは違う。それはメフィーたちが居てわかったことだと思う。援助できる団体と援助できない団体、援助できる時期と出来ない時期、救える命と救えない命があることに対する罪悪感のようなものについても、私はその「不公平」(・・・というより「全部ではない」ということ)や「無力」を受け入れてみることにした。全部出来ないならみんなやらない、ではなく、出来ることをしてみよう、私なりに感じる「縁」という名のもとに、と思ってみることにした。

奇妙なもので、仕事では自分の「無力に等しい」を認めることが出来るのだ。平等に。「無力に等し」くても、報われないことのほうが多くても、問題が尽きてくれなくても、多分これほど傷つかない。でも、「猫」とか「家族」とか「自然」には難しい。なぜだろう。

あと、子猫もかわいいと思うようになったこともメフィーの死後かもしれない。
自分の生活スタイルや仕事を考えると、子猫と暮らすことはハード。生活スタイルに合わないからかわいいと思わないようにしていたつもりはないが、感じたいように感じているようでいて、自分がどう感じるかさえも「自分の生活」からしか生じ得ない、ということではないらしい。当然だが。
でも、不意なことから子猫たちを預かることになり、彼らには偉大なかわいらしさがあるな、と思った。手間はかかるし騒がしいし、心を頻繁に甘くしたり辛くしたりして彼らが人間のそばで生きていけるように「しつけ」なんかもしなくてはいけないのだが。そして依然として大人猫の落ち着いたかわいらしさのほうが私には合うのだが、保護団体の方たちが大プッシュしていた子猫のかわいらしさもわかるようになった。観念ではなく実感としてね。子猫のかわいさは容姿としては理解していた。でも「かわいい」ってそういうことではなく、「この存在のために振り回されてもいい」と普通に思えることなのかもしれない。M的発言?!

自分の意図しないこと、不意のことは、時に自分の世界を広げてくれることがある。自分ではけして望まない出来事であったとしても。
それを受け止められることが、生きる意欲、ってやつなのかもしれない。
逆に言えば、これを受け止められなくなることが「死」なのかもしれない。生物的な意味でのそれではない。生きながら死んでいる、というやつ。「終わってる」ってこと。
私は最後まで生きて、死ねるだろうか。それとも、生きながら死んで、最後にやっと「死ねる」のだろうか。できれば後者じゃないほうがいいな。

やってみれば分かる、やってみないとわからない、というのはいいことなんだと思う。でも、やっていても、やってみても、わからない、ということも存在する。残念ながら。

先日、タクシーに乗った。タクシーの運転手さんは始終軽い調子で話しかけてきていた。話題は祇園と亀岡での事故のことになった。運転手さんはこともなげに言った。「いやー、二度あることは三度あるっていうからねぇ。また起こるかも、なんちゃって」笑いながらそういわれたとき、私はどうしていいのかわからなくなった。いや、正確には「わからない」のではない。許されるのなら、こいつの後頭部を蹴りしたい、という衝動を理性で制御し、「わからない」でぼかしていたのだ。だって、こいつの後頭部蹴ったって、解決にはならないもん。腹いせぐらいにはなるけど。

祇園は私にとって馴染み深い場所だ。何度も通ったことがある。亀岡も、たまたま教えに行ったことのあるバレエ教室の近くだったので、そこの生徒さんが巻き込まれてはいないか案じていたところだった。後日無事がわかって安堵したのだが、直接知り合いが巻き込まれていなかったはものの、憂いは耐えない。クライアントさんたちもとても心を痛めておられた。これを書いている現在では、その後さらに館山での事故、ゴールデンウィーク中の高速バスの事故なども起こってしまって、本当に心が痛い。
京都のタクシーの運転手さんにとってもそうした状況や場所は関係のない場所ではないと想像する。でも、その口調はまるで茶化すようだった。まるで実生活ではけして会うことのない芸能人のスキャンダルを噂話するかのような口調。
混乱しながらとっさに私のアタマはこの人間に対する「解釈」をしてしまう。連日どのニュース番組を見てもなされているこの事故の報道。その頻繁さがコトを「ありふれたこと」「なんでもないこと」のように勘違いさせているのかもしれない。タクシーの運転手というあまりにも身近な仕事だからこそ、ストレス回避の心理が働き、わざとそのような「軽口」のなっているのかもしれない。いや、境界性人格障害の可能性だってある。共感性をもてない人間もいるし、人の悲しむ姿を「反応があった」と喜ぶ人格の持ち主はいるし、人の心をわざとかき乱すような言い方をする以外に人と関わるやり方を思いつけない人間だっている・・・
と、10秒ほど考えてから、「いや、そうであったとしても、やはり私はこいつの物言いが許せない!」と思い、タクシーを降りた。仕事でも知り合いでもないのに相手を理解しようとしてしまうのは、私なりのストレス回避手段にすぎない。わかったほうが、少しだけこの事態に対する感情が和らぐのだ。でも、それは「苦しいと思わなくなる」ということではない。相手に対して「あなたはそれでいい」とも全然思えない。
運転手さんは最後まで「あれー、お客さん、どうしちゃったのかなー」と言っていた。しかたない。しかたがないのだ。こういう人間もいる。これが初めてではないし、きっと最後でもない。
以前もあった。911テロの時も、やはりタクシーの運転手だったけれど、似たようなことを言われた。そのときは、「外国で起こったテロ」ということで、その人にとってはリアリティがないのだ、と思っていた。というか、思うことにした。
でも物事を身近に感じる「リアリティ」は物理的な「遠さ」や「近さ」によって作られるとは限らない。それを自分にとって「近い」ととらえるか「遠い」と感じるか、というセンスによって作られるものなのだ。その感じる力は何によって作られるのか。毎日、何気なく、普通に、どう生きているか、ってことじゃないのかな。それはどうしようもなく、一人ひとり違うのだ。同じ地域に住んでいても、同じ人間であっても。
でも必ず通じないわけでもない。

生きてるって、普通に、タフ、だよね。

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