えこひいき日記

2017年8月9日のえこひいき日記

2017.08.09

猫の奏(そう)が死んだ。
彼が息を引き取ったのは、奇しくも父の命日の前日だった。なので父の命日には、お墓参りに行って、そのあと奏の火葬をする予定だった。しかしその日に台風が来てしまったので、お参りは取りやめになり、火葬は三日後の今日になった。

夏場の遺体保管はなかなか緊張する。しかしペット霊園の人によると、日が当たらないようにして、クーラーのかかっている室内においておけば基本的には大丈夫、だという。そう言われてもやはりちょっと心配なので、保冷剤を添えながら奏の遺骸を守った。
火葬の今日は夏らしい晴天だった。傍らのペット霊園にはお参りの人も来ていて、和やかだった。すべては1時間ほどで終わり、奏は骨になって骨壺に納まった。
やっと送れた。天に返せた。
それが率直な思いだった。奏はきっと自由なからだになって優美な動きで駆け回っている…そんな気がしてならない。

かつては猫は10年生きたら猫又になる、などと言われた。野良猫の平均寿命が3,4年というお話もあるので、今でもお外の猫にとってはそうなのかもしれない。しかし家猫は違う。もはや「目指せ20歳」の世界。
そんななのに、奏は11歳にならずに死んだ。
5歳の時にうちの子になり、まだ一緒に暮らして6年たっていなかった。

奏は生まれつき体格のわりに腎臓が小さかったらしい。それがわかったのは少し前のことだ。腎臓のチェックは7歳を過ぎた時から定期的に行ってきたが、目に見えて悪化したのは今年に入ってからだった。そして春からは、まるで坂を転げ落ちていくようだった。
検査のたびに数値が悪化していった。通院は3日おきになり、段々補液や注射をしても食欲や排尿が期待したほど促進されなくなった。「猫の腎臓に画期的効果がある」と言われた薬も試してもらったが、彼には全く効果が見られなかった。
奏の病気がわかったころに私は奏にこう話しかけていた。「やれることとやれないことがあると思うけれど、やれることは精いっぱいやるから、しんどくなったら知らせてね。してほしいこととか、知らせてね」と。
私は奏の声を聞き取ってあげられていただろうか。
わからない。
でも私なりに耳を澄ましたつもりだ。ひょっとしたら聞きたくなくて、耳をふさいだこともあったかもしれないし、聞く余裕を失って行動を優先したこともあったかもしれない。でも、未熟なりに最善を尽くしたつもりだ。

奏は、いい子だった。友人に言わせると極めて「気遣いができる猫」だった。そのためか、通院に手間取ったことは一度もなかった。のりのりで行くわけでもないが、「はいはい、行きますよー、入ってねー」といえばキャリーに入ってくれるような子だった。家の中ではもちろん、移動中にトイレの失敗をすることなどもこれまでなかった。
しかし彼が移動中にトイレの失敗をしたことが一度だけあった。免疫が低下し口内炎が発症した様子で具合の悪い彼が朝ご飯も食べずにぐったり寝ているのをそのままキャリーに入れて病院に行った時のことだった。その日は週末で、すごく混んでいた。2時間待ったが、私の順番は来ず、仕事の予定があったのでそのまま帰ることになった。きっと私は険しい顔をしていたと思うし、そういう気配を放っていたと思う。急いでタクシーで帰宅し、奏をキャリーから出すとおしっこをしていた。出かける前にトイレに行く機会もないままだったから無理もないのだが、急いでいる私は「うわー」という顔をしていたと思う。急いでキャリーと奏のからだを拭いて、そのまま仕事場に飛び出していった。
その時から奏は今まで隠れたことのないような場所に入り込むようになった。食欲もなく、水を飲む気配もない。口内炎は痛そうだし、このままではますます衰弱してしまう。
見かねて翌日、臨時で別の病院に連れて行った。私が病院に連れていける時間にはいつもの病院は診療時間外だったので、その時間に診療している病院に飛び込んだのだ。電話で事情を話し、お世話になっている病院があることをわかってもらったうえで、補液や抗生剤の注射をしてもらった。

そのとき、ふと、例えば小さい子どもが親の様子を気にする様子とか、心が細やかな人が他人様子に左右されることなどを思い出した。
例えば、誰かに何か頼みごとをして、相手が思案顔をすると、「あ、困ってる」「困らせていしまった」と落ち込むような人がいる。あるいは、同じ状況で相手の思案顔を「自分を申し出を拒む顔」と思ってしまって、「あー、そーかい、俺のことなんでどうでもいいんだな」とキレたりする人がいる。こういう人は他人に「頼みごとをする(他人に頼まないとできない、自分一人で完結できないことに無力を感じたりする)」、あるいは「口を利く」というだけで非常に緊張していることが多いので、そこにさらなる緊張(相手が自分を拒絶する、という事態。でもこの時点では思い込みなんだけど)が加わると、自分の緊張に耐え切れなくなって暴走してしまうのだ。「落ち込む」という人も、「キレる」人ほどではないが、高い緊張を持って人に対していることが多い人だ。
子供の場合は親に対してこういう「緊張」しているわけではないが、分離不安というか、共感願望が高いというか、相手が自分の想像した通りでない行動や表情をすると相手の愛情からはぐれた存在になったような気がしてショックを感じてしまうことがある。言うべきことだけど言ったら怒られるかなあ…というような想像をしながら親の前に立つと、親のちょっとした表情がすべて自分に対して思っていることを表しているように思えて、思案顔も拒絶、自分に対していい顔をしなかった、自分の思いを受け止めてくれなかった、と解釈してしまったりする。
時がたって理屈が理解できるようになると、この反射的な解釈が和らいでくることが多いが、大人になってもこういう感覚が強い人は少なくない。

奏は気遣いの猫であり、プライドもある。だから私の困り顔がそういう意味に思えたのかもしれない。
もちろん、体調が悪いから隠れて居る、ということでもあるだろう。でもそれだけではなく、奏にも「こころ」があり「おもい」があると感じた。
私は奏の心配をしている。そしてそれにまつわるいろいろなこと…例えば通院にかかる時間、費用、それらを工面するために自分の予定の変更を余儀なくされること…を思案している。しているが、それが彼への思いではないし、奏に伝えたいことじゃない。
「私は奏を愛している。急いだり、慌てたり、心配したりするけれど、それが奏に言いたいことじゃない。私が言いたいのは、何があっても大丈夫、愛している、ってことなの」と伝えることにした。具体的には、自分の気持ちのチューニングを厳重にしただけだ。「心配」に基づいてではなく「愛」に基づいて奏に接することを心がけた。

そしてそれはあっけなく伝わった。奏はすぐに出てきてくれるようになった。

「愛」なんて言いながらだけど、同時に私の中に「ああ、いくらでも悲劇的になれるモードってあるな」とも思った。
2時間待っても診療の順番が来ない日や、3時間待ってようやく診察が受けられて、でももう奏を自宅に戻す時間はなくて、ドキドキしながら時計とにらめっこして猫同伴で事務所に直行し、クライアントの合間にまたタクシーで奏を自宅に戻す、なんてことをした日には自分の中の「悲観モード」がちくちく点滅するのがわかる。悪化し続ける数値、かさむ治療費、あれこれ食べてくれなくて廃棄するしかない猫のご飯の山に絶望を見るとき、通院に時間をとられてできなくなったあんなこと、こんなこと、そんな中でもやらなくちゃいけないあんなこと、こんなこと…そんなことを前に「世界で一番不幸な私」みたいな気持ちを盛り上げることって、結構簡単だな、と思った。
そういう気分は波のように何度もやってきた。
でも、幸いそれに溺れずに済んだ。
手前みそだけど、アレクサンダー・テクニックとかアーユルヴェーダのおかげだと思うよ。朝の日課はこんな中でも欠かさずやっていたし、そういうルーティンがあることが特定の感情の波に自分がさらわれ過ぎるのを防いでくれる気がする。身体的健康もキープしやすい。「心配事」はどうしたって心を占めがちなことだけど、占拠されたって何もいいことがなさそうなことから自分を守ってあげるには、少しの間でも自分と向き合う時間があること、自分のその時の感情じゃなくて、自分自身に集中できる方法や時間を持てることは大きいと思う。

頻繁な通院にも抵抗をしない奏だったが、ある時、病院に行く時間になっても高いところに上ったまま降りてこようとしなかった。もうふらつきだしているのに。その時、私は通院をやめることにした。
力づくで連れていくことはできたと思う。でも、やめた。
自力でご飯を食べられなくなった奏に、シリンジで栄養食やリキッド食を摂らせていたが、ある時リキッドでも消化するのがしんどそうにしているのを見て、強制給餌することを、やめた。

やめることが、すごく怖かった。何度も心が揺れて、何度も奏を触って確かめた。で、やめた。

もう腰も抜けたようになって、弱弱しく鳴き、よろよろなのに動き回ろうとする奏を床の上のかごのベッドに入れて、「行ってくるからね」と朝の挨拶をした。「待っていてね」とは、言えなかった。
以前何かで、死にゆく人を導くために死後の世界をよりヴィヴィットに想像して相手に伝える(観想する)ことが善き往生につながる、と読んだ覚えがある。奏に苦しんでほしくない一方で、明確に想像するのが怖い自分がいた。明確に想像すると、奏が本当にそこに行ってしまいそうで。でも、してみた。
私が思い描けたのはいわゆる「お花畑」とかではなくて、なぜかまばゆい瑠璃色と金色の宇宙空間みたいな場所だったのだが、美しくて奏にふさわしい場所のように思えた。弱く夜鳴きする奏にそんなものを想像しながら「大丈夫だよ、大丈夫だからね。何があってもそばにいる」と伝え続けた。
その日の昼頃、胸騒ぎがして仕事の合間にタクシーで帰宅した。奏は息を引き取っていた。最後に自力でトイレに行こうとしたらしく、かごベッドから出た姿で亡くなっていた。私は大声で泣き、それから奏のからだを整えて、急いで花を買いに行き、急いで仕事場に戻った。

奏の闘病中、うちのほかの二匹の猫たちはおとなしかった。体調がみるみる変化し、彼らが遊び場にしていたエリアで寝込むことが多くなった奏に対して、彼らはそっと場所を譲り、違うところで遊ぶようになった。「思いやり」でもあろうが「緊張」でもあったと思う。家の中には何とも言えない緊張感があったと思うから。食欲がなくなった奏につられて二匹もご飯を食べなくなって困ったりもした。

ちょうど奏の臨終間際になった期間に、友人の猫二匹を預かることになった。預かることに迷いもあったが、この2匹は奏を「尊敬」してくれているなじみの猫さんでもあったので、会っておいてほしいという思いもあった。
彼らの反応も印象的だった。その子たちもうちの子たちと同様に、奏の寝ているエリアにあまり立ち入ろうとしなかった。でも2匹のうち1匹は、廊下で私を見るとすごい声で鳴きながら体当たりをしてきた。まるで「ねえ、どうなってるの?何が起こってるの?奏おにいちゃんはどうなってるの?」と言っているみたいだった。

奏が亡くなった日から、彼らの食欲は元に戻った。ゲスト猫の大泣きと体当たりもなくなった。そっと奏の亡骸に近づいて様子をうかがうと、いつものエリアで遊ぶようになった。奏の周りに飾られた花やお供えに対しても、彼らはいたずらしないんだよね。だからどうってことでもないかもしれないけれど、単純にありがたい。

奏との時間の中で学んだことは幾つもある。いつかそれを形にできたらと思う。

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