えこひいき日記

2017年12月11日のえこひいき日記

2017.12.11

本日は祖母の四十九日にあたる。法要は週末になる予定なのだが、納骨の目安となる四十九日を前に、先日祖母の年の離れた妹さんのところに行ってきた。
「年が離れている」と言っても、100歳の祖母の妹である。御年90歳。お元気ではあるが、いろいろと体調の問題はあり、葬儀には参列していただけなかった。でも「納骨前に一目お姉さんに会いたい」という要望を受けて、家族で妹さんのところに出向くことにした。車で往復14時間の旅になった。

祖母が使っていた衣類を妹さんに使ってもらうことになったので、旅の前に母があれやこれやと祖母の持ち物を整理していた。するとその中から祖母の手記が出てきた。
祖母は茶の湯の師範免許を持ち、書もたしなむ人だったが、毎日日記を書くタイプの人ではなかった。出てきた手記も、何かの雑誌の付録と思われる手帳にしたためられたもので、書いてあることは主に2つのことだけだった。
一つは祖父のこと。祖父が最後に自宅で倒れてなくなるまでの顛末。
もう一つが、猫の死のことだった。

その猫は、私がアメリカから連れて帰ってきた猫だった。名前はネリノ。黒猫で、絵本の『まっくろネリノ』から名前をいただいた。
ネリノはすごくクローズドハートな猫で、猫にも人にも容易に心を開かない猫だった。
そういう性格だったから、私が長期休暇の時に猫を置いて帰国すると体調を崩した。ネリノが怖がらない人を選んで猫シッターを頼んだにもかかわらず、「猫なのに寝ない。ご飯も食べてくれない」と連絡がきた。
ニューヨークの家に戻った私は3日分の食料を買い込み、家にこもってネリノのそばにいた。「私はお出かけや旅行はします。でも絶対あなたを捨てたりしません」そのことを伝えるためだった。ネリノは体調を取り戻してくれた。

その話を日本の家族にすると、家族づてに「祖母が涙ぐんでいた」という話を聞いた記憶がある。「かわいそうだから、次の休暇の時には連れておいで」とも言われたかもしれない(記憶はあいまい)。
そして翌年の休暇にはネリノを連れて日本に戻った。

休暇の間、クローズドハートのネリノはほとんどをベッドの下にこもって過ごした。それでも、休暇が終わるころにはそろそろと家の中を探検し、ほかの家族にも可愛がられるようになってきた。
やっと日本の家に慣れたのにまた飛行機に乗せるのはかわいそう、ということになり、ネリノは実家で暮らすことになった。

私の留学中、ネリノが家族と具体的にどんな風に暮らしていたのかは知らない。それは家族から「困りごと」を相談されるようなことがなかったからだ。便りがないのがなんとやらである。だからネリノは幸せにかわいがられていたと思う。
クローズドハートのネリノの写真はほとんど残っていない。カメラを怖がったからだ。でも記憶の中にあるネリノは、いつも家族のいるところにいたがっていて、膝の上やダイニングのお気に入りの椅子の上にいる。

ネリノが死んだのは15年前の11月。祖母が85歳の時である。日本の家では8年ほど暮らした計算になるだろうか。
祖母の手記にはネリノが体調を崩し、食べなくなり、母が添い寝をする中で息を引き取った様子が書かれていた。そして「涙がとめどなく流れる。ペットの死がこんなに悲しいものかとつくづく思ふ」「賢い猫だったのでいろいろ思い出し涙が流れる」と綴られ「ネリノが使用した色々の物を目にする度に涙が出てたまらない。こんなペットへの思いはペットを飼った人にしかわからないものですとつくづく思ふ」と書かれていた。

ちなみに祖母がいわゆる「ペット」と暮らしたのは何もネリノが初めてではない。犬は飼ってきた。
でも、室内で猫と暮らす、というのは初めてだったと思う。犬は庭で飼っていたし。ネリノとの暮らしは祖母にとっていわゆる「ペット」観を変える体験だったのかもしれない。
祖母の年齢の人が抱く「常識」から考えれば、今日の猫の「完全室内飼い」は「常識外」の「変わった飼い方」だったと思うし、猫は家の内外を行き来するのが「あたりまえ」で、それが気ままな印象を与えるがゆえに「犬より情がない」などと思われていたと思う。
もしも祖母や家族がこの「常識」に従っていたなら祖母の手記はなかったかもしれない。ニューヨーク生まれ・ニューヨーク育ちで室内での暮らししか知らず、しかもクローズドハートのネリノには、この「常識」の中に「生きていける場所」はなかっただろう。

こんな思いになるとは、と祖母は書く。
祖母は習慣的に日記を書く人ではなかった。「書く」という行為の意味は、今日のSNSやブログで日常的に発信する行為が日常の人ともまた違うことだろう。だからこそ、祖母がわざわざ綴った「このこと」に胸を揺さぶられる。
そして85歳にして世界の見方を素直に変えて受け入れた祖母を尊敬する。

そういえば、先日参加した『高齢者とペットの暮らしを考えるシンポジウム』の開会の言葉として、獣医師会会長さんがこんなことを言っていた。
「自分が獣医師になったころは、獣医師になるなんて奇特な、と言われた。犬猫をわざわざ医者に診せる人間などいるのか、と言われた」と。いわゆる畜産動物を診る獣医ならいざ知らず、都会でペットを診るなんて、と言われたと。それがおよそ30年ほど前だという。
しかし時代は変化する。犬や猫はもはや「家族」。法律的にも動物愛護法が制定され、みだりに動物を虐待するする行為の禁止や、終生飼育という文言が記載されるようになった。

モノ消費からコト消費へ…なとという消費動向の分析もあるが、「モノ」で豊かになれることにはリミットがあることが多くの人の実感になりつつあるということかもしれない。「モノ」というはっきりしたカタチのあるもの、はっきりしたカタチのあるものだけを信頼して価値の中心に置く時代から、あいまいかもしれないし不安定かもしれないけれど、個性的でかけがえのない「コト」だからみえてくるもの、そういう何かが「みえる」時代になってきたのかもしれない。
人と動物ではどっちが上か、ということを重視したがる人もいる。知能の問題や、有益性や、そういうことの中に「大事にする理由」を見つけようという人もいる。それも一つの価値観。
でもそれだけでは測れないものもある。
量子力学や、ニュートリノが発見された今日、「目みえるカタチがある」もののほうが限られた存在であることは常識のレベルに近づきつつある。「カタチになって世界の存在を認識する」のと、「目に見えるカタチになる前のカタチ」があるんだなあ、という感覚があるかないかでは、だいぶ世界が違うだろうと想像する。
言葉や、社会的に身に着けた行動パターンや、そういうカタチの中では見えなくなりそうな大事なものを、言葉が通じない、自分の常識が通じない存在を通して見出すことがあるような気がする。そしてそういう経験が時々必要な気がする。何かを終わらせるためではなく、始め続けるためにというか、生きている時間を「生きたもの」にするために。
文化が違う場所に旅に出る理由もそうかもしれないし、違う名前でブログを書くのもそうかもしれないし、今日のペットブームもそうかもしれない。私のところにレッスンに来る人がいるのも、そういうことかもしれない。

どうか何か「見出す」ことがいろんな人にとって喜びを伴うことであり続けますように、と祈る。
例えばペットの死のような悲しい出来事でも、例えばこれまでの常識が覆されるショックの後でも、それでは終わらない「愛」の発見があることがどうか見出されますように、と、願う。

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