えこひいき日記

2018年4月5日のえこひいき日記

2018.04.05

大相撲の巡業であいさつをしていた市長が土俵上で倒れるという出来事があった。救護にあたろうとした人たちが駆け寄り、女性が土俵に上がった。それに対して土俵上の相撲関係者の一部がいさめる行動をしたり、アナウンスで「女性は土俵から降りてください」とアナウンスした。
こうした行動が物議をかもしている。「人命と伝統とどちらが大事だ?!」という論議にもなり、相撲協会の理事長が謝罪する展開になった。

私の仕事の観点からすると、これはひとが「異常(常ならぬこと)」に対してどう反応するか、という思考習慣の反応と考えたりする。

「からだの使い方」を教えるときに思うのは、自分の「常態」に対して正確な認識を持っている人は少ないこと、そしてその「常態」は「ふつう」や「健康」とは限らないことである。
「常態」は、いわゆる「ふつう」で、「ふつう」は「なにもないこと」で、だから「ふつう」そのものに対する情報や認識を持たない人は珍しくない。だから「からだ」を認識するのは「痛み」や「不具合」という限られた感覚を通してのみで、そうした認識の仕方が「ふつう」になると「痛み」でしか「からだ」を認識できなくなる。
まあ、「痛み」がなくなったのなら「ふつう」に戻れたんだろう、と、特に疑問を持たない人もいる。それはそれでいい。その人にとって「ふつう」とは良くも悪くも「かわらないこと」「まえとおなじ」であることで、変化を好まない。

しかし病気やけが、不調などの「常態の揺らぎ」を通して自己を更新する人もいる。「ふつう」だと思っていたことの中に、実はそうでなかったことを見出し、「今」の自分に合ったやりかたにアップデートすることを楽しめる人たちだ。
「たのしめる」と書いたが、これもいろいろあって、けして一色一方向ではない。自分を知るということは、少なからず恥ずかしさや痛みを伴う。「今まで何をしてきたんだ」とか「もっと早く知っていれば」というほろ苦い感情を抱く人もいる。その痛みをさらりと流せる人もいれば、かなりこだわる人もいる。例えるなら、脱皮時のなんともディフェンスレスな感じとか、成長痛などと似ているかもしれない。誰にでも多少伴うが、必ず過ぎ去る。

自分の身に予想外のことが起こったり、身の回りに予定外のことが起こったりしたときの、人の反応は様々だ。
例えば、先ほどの相撲巡業での場合、多くの人は「なにもしない」。それは別に「無関心」とか「無視」という意味ではなくて、何が起こっているのか、自分に何ができるのか、把握するまでは動かない(動けない)、ということをする、あるいはできる、ということだ。会場での位置や職務によっても違いはあるだろうし、「できること」がわかった人たちが救命活動をしているのに対して「なにもしない」でいることは一見「無力」「冷たい」とも感じられるかもしれない。でも「わかるまでなにもしない」「みまもる」はそれなりに的を得た、場を邪魔しない行動だと思う。

でも「わかるまでなにもしない」をしない、あるいはできない人もいる。「(何ができるか、すべきか、わかんないけど)なにかしなくては」と、動いてしまう人たちだ。
その人たちの心にあるには決して悪意ではない。どちらかといえば、善意に近いだろう。でも「パニック」が混じっているので、行動が的確ではなかったり、余計なことだったりする。

もしかしたら、行司の人たちは自分たちなりに「自分にやれることをやろう」と思ってしまったのかもしれない。それが結果的に「救命行動を妨げる」ことにもつながる行動だとは認識できず、とにかく「じっとしていられない」衝動の方が、状況の把握の上を行ったのかもしれない。

こういうのって、自分の不調を見逃すパターンとしてはよくある。明らかに「いつも」とは違うことが起こっていて「いつも以外」の、未知のそれにガチ対処すべきなのに、不安感から対処できる範囲の「いつも」に物事を戻そうとして「たいしたことのないふり」をしたり、「誰か」や「何か」が「いつも以外」の状況を作ったのだと、問題をずらしたりする。
ひょっとしたら、自分の具合が悪いときに周囲がそのような対応をしてきて、戸惑ったり悲しんだりしたことのある人もいるかもしれない。

思いがけない問題に出会ったときに「ヒーロー」になる必要はない。「ヒーローになる」というのは、スーパーマンやウルトラマンのように、どんな状況でもどこからかやってきて、一発で問題を解決していくような、問題の片付け方のこと。(いや、冷静に考えたら彼らの引き起こした破壊や巻き添え被害とか、結構すごいと思うんだが)でもなぜか、パニックがひどいほど「ヒーロー」しようとする人は多い。で、うまくいかなくてまたパニックになるの。
思いがけないことに出会ってプチ・パニックになっている自分に出会ったら「あ、戸惑ってる」と認めてあげることから始める方がいいと思う。それから相手や、誰かに「何かできることはありますか?」と聞くのでもいいし、考えるのでもいい。あるいは「がんばって」とか「よくなりますように」と声をかけたり願うだけでもいいと思う。
そして「できること」がわかったら、ゆるい勇気で踏み出そう。「ふつう」に、かろやかに。

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