えこひいき日記
2020年2月20日のえこひいき日記
2020.02.02
「苦手」という感覚や意識がある。
「苦手」は強まって「嫌い」「軽蔑」のような感覚になることもあれば、「あこがれ」「神格化」「脅迫感」に化けたりもする。
いずれにしても、ベースになっているのは、何かや誰かが「苦手」だという意識から生じる自己評価の低さだ。何かを「うまくできない」「苦手」と思っている自分を容認できず「よくない人間」と思っているので、相対的に対象の評価を上げたり下げたりする。
こういうバイアスがかかりすぎるとますます自分の感覚が信頼に足りるものなのか怪しくなるし、たいてい余計なトラブルを生んでしまう。
例えば、とあるタレントさんのファンだった人が「そのタレントさんみたい(容姿、行動、生活レベル等々)ではない自分」に失望し、その人のようになろうとして心身や生活のバランスを崩したり、追っかけ(実際の「追っかけ」から、グッズや記事を買い集める、など)のようなことをしてみたり、そこで起こる無理を誰かに褒めてもらいたがったり、あるいはそのタレントさんの「ライバル」とされる人物を敵視することに力を注いだり(その人にとっては「応援」のつもりらしい)、最後には疲れ果ててタレントさんをけなし始める・・・・というようなことがあったりする。
「ファン」、つまり「好意」という感情は、「苦手」とは正反対のように思えるが、実はとても良く似ていて簡単に裏返る。
特に劣等感が強い人の中では。
そういうことを仕事で体験していることもあるし、自分のこの後の人生を考えるときに、「苦手」とどう付き合うか…はなかなか大きなテーマなのである。
日常的に行っているのは、「苦手なことを1日1個だけやってみる」というもの。
例えば私はアームバランス(手で自重を支える)がすごく苦手なのだが、1日1回やってみたりする。
「苦手が克服できたらいいな」という気持ちもあるが「嫌だな、やっぱり苦手だな」という気持ちも消えはしない。毎日、やっぱり「ああ、ちょっとヤダ」と思ってからやっていたりもする。
毎度必ずちょっと嫌な気持ちになるのに、なんでこんなことをしているかというと、「免疫療法」みたいなものかな、と思っている。
食物や花粉のアレルギーを持つ人に少量のアレルギー物質を取ってもらうことで抗体を作り、アレルギー反応を抑える治療。
免疫療法を行っても自身のアレルギーが消えるわけではない。でも、アレルギーに「困らせられる」確率が低くなるのだ。
それと同様で、私の目的は苦手撲滅ではなく、苦手感情に自分が振り回され過ぎずにいられることなのだ。
そしてアームスタンドに関していえば、実際に少しできるようになっていったりもする。相変わらず苦手ではあるが、でもなんだかちょっと「苦手」から自由になれる感じでもある。
そういえば、乗馬をしている人から「落馬の恐怖を克服するには、できるだけ早いタイミングでもう一度馬に乗ってみることだ」と聞いたことがある。
苦手意識は恐怖感でもある。でも恐怖感を感じた後の体験が、その恐怖の支配を消してくれることがある。
先日、大きめの「免疫療法」があった。
具体的にはキールタンという「歌うヨガ」のクラスと、アクロヨガというアクロバティックなヨガのクラスに参加してみた。
どっちも私の苦手なこと。でも興味があること。
実際に行ってみると、やはりうまくいかないことは数々ある。
というか、うまくいったことよりも、最初に意識をしめるのがそっちなのだ。
キールタンではリードを任されたとたん歌詞がわからなくなり、リードの役割そっちのけでつい自分の練習モードになってしまったし、アクロヨガでは基本的に苦手分野満載だったので筋肉が疲れてくるとあからさまに心が暗くなってくる。ペアの人にも迷惑をかけたかもしれないし、いろいろ悔しい気持ちにもなる。
疲労が勝ると自分を卑下する気持ちにいったん支配されそうになるが、少し落ち着いてくると「いつもはしないことができて楽しかった。いろいろ知れた!」という思いの分量が多いことにも気が付く。やはり「いつも」のやり方や視点からは見えないことを見させてくれるチャンスでもあったりするんだと思う。
いつか私は苦手や恐怖からもっと自由になれるだろうか。「好き」が偏見や固執に化ける危険から自由な場所に出られるだろうか。
自由でいながら関心を失うのではなく、いろんなものを愛している自分でいられるだろうか。
「からだ」に関わり、ヨーガに踏み込むと、そういうことをより考えるようになる。