えこひいき日記
2001年2月2日のえこひいき日記
2001.02.02
タクシーに乗ると、やたら運転手さんに話し掛けられるタイプの人とそうでない人がいるようだが、私は圧倒的に前者のようだ。今日は3回もタクシーに乗る機会があったのだが、そのうち2回は結構長い距離(15分から30分の走行)だったせいもあって、なかなかおもしろかった。
ひとり目の運転手さんは「淀川長治さんみたいな映画評論家になりたかった」という、ものすごい映画好き(ただしジャンルに偏りがありそうだから「評論家」はしんどいと思うんだけれども)の方で、タクシーに乗るなり英語で話し掛けられた。反射的に思わず英語で返してしまったのだが、彼が何でどーみても日本人の私にそんなことをするかというと、「映画で覚えた憧れの英語を話したくてしょうがない」からだそうだ。古い名作映画を一作品千回ぐらいとか、それこそ休みの日には時間がある限り映画のビデオを見ているそうで、夢は「タクシーに外国の人が乗ったときに、好きな映画のせりふでつかえそうなのを、さりげなく言ってみること」だそうだ。お気に入りの作品の名場面を身振り手振り入りで熱心に解説してくれる、すごくラブリーなおじちゃんだったが、それは客(他人)の立場だからそうなのかもしれなくて、これが自分の夫だったら「ラブリー」とだけは言ってられないかもしれない。しかし、きらきらと映画の話しをする様子は、やはり何か、邪険にしきれない、たいへんかわいいパワーを持っているのだった。
ふたり目の運転手さんは、私の職業を知ったとたん、とうとうと自分の体験を語りだした。
彼の「つぼ」にはまったキーワードは、私が何気なく言った「(習慣的なものが原因での痛みや不調に苦しむ人は)落ち着いてみれば、なーんだ、ということが多いんですけどね」という一言だった。そこから彼の怒涛の告白が始まった。
本人曰く、彼は結婚するまで「女の人は自分の言うことを何でも聞いてくれる」と信じていたらしく、そのつもりで結婚したら、現実はそうではなくて、頭に10円はげがいくつもでき、些細なことで心臓がばくばくするという、いわゆる不安神経症もしくは自律神経失調症になってしまったのだという。いまどき?!「自分の言うことを何でも聞いてくれる」存在としての「女性」の存在を信じているなんて、それまでどういう体験をしてきたんだか、よくわからないが、それはともかく、その症状を「心臓病」と思い込んで苦しんだ彼はパニックになって病院に駆け込んだという。
彼にとって幸いだったのは、ここの病院の循環器系の医師が非常によい方だったことだ。医師は恐らく、早い段階で彼の症状が循環器の問題ではなく、「変化」というものをフレキシブルに許容できず、すべて「悪いこと」として捉えてしまう彼の認識の仕方のほうに原因があると気がついていたのだろう。辛抱強く彼のパニックに付き合い、なだめ、いさめ、そして「パニックにパニックする必要はなく、落ち着いてみてみれば大丈夫」ということに彼が実感を持てるようになるまで、時間をかけたのである。
きっかけは「深呼吸」だったという。
パニック発作に陥ったときに、ためしに一度ゆっくり息を吸って吐いてみると、少し動機が収まっていることに気がついたという。こうやって書くと、あほみたいなことかもしれないが、パニックの恐ろしいところは「不安」以外のものが見えなくなってしまうことである。呼吸する存在としての自分を取り戻す….などと書くと大げさだが、どんなにパニくっていても、息はしているし、お腹もすくし、眠くもなる。パニックのさなかにあっても「パニック」としての「自分」だけが単独で存在しているわけじゃないのよ、という「自己の複合性」に気がつくことができたせいか、事態は急速に快方に向かったという。
「これからもたくさんの人を助けてあげてください」などと大げさなことを言われてしまったが、私にはその言葉よりも、最後に彼が少しだけウサギのような目を上げて、こちらの目を見て話してくれたことのほうが何だが嬉しかったのだった。