えこひいき日記

2001年3月16日のえこひいき日記

2001.03.16

春めいた陽気。近くの公園の桜の枝にも「つぼみのもとのもと」のようなものがふくらんできていて、何だかこころ楽しい。ちょっとした用事でも、寒いとつらいのだが、暖かくなってくると足取りも軽い。

さて、来週(明々後日)は博多でワークショップということで、いつものレッスンの合間を縫って持っていくものなどをチェックしなくてはいけないのだが(忘れ物してもおいそれと取りに帰って来れないしね)、考えているうちに別のプロダクションのねたを思いついたりして(こんなものも書いてるし)、そんなことをしているうちに次のクライアントが来ちゃったりして、何だかあわただしい。
あたあたしながらも、楽しいので、まあよいのだ。これも春のせいだろうか。

こちらにレッスンに見えたことのある方はご存知だろうが、昨年からつい1ヶ月ほど前まで、事務所の入っているビルは増築工事中だった。工事車両の出入りで足元は悪くなるし、ドリルの音と振動などもあるし、クライアントの皆さんにも迷惑をかけてしまった(タンクのセッションはすべて断らなくてはならなかったし、あまりにも条件が悪い日にはレッスンを入れられなかったりした。また、「大丈夫だろう」と思ってレッスンを入れても予期せぬときに大きな音がしたりして、居心地が悪かったと思う。ごめんなさいでした)。
中でも私が一番まいっちまったのは、2ヶ月以上もビルの外壁がぜんぶ防音シートで被われて、外の景色が全く見えなくなってしまったときだった。それは散々振動やら騒音やらの時期があって、工事も終盤になっての作業だったからこそ余計きつかったかもしれないのだが、今日のお天気も、昼なんだか夕方なんだかもわからない状態で過ごした数週間は、まるで深い水槽の中に落とした石がゆらゆらしながら底へと沈んでいくのをじっと見ているように、自分がゆっくりと鬱状態に沈殿していくのを眺めているような日々であった。
何年か前に、シカゴだかシアトルだったかが異常気象で雨と曇りの日ばかり続き、かれこれ半年間もお日様がまともにおがめないということがあったという。その時には鬱症状を訴えてクリニックを訪れる人の数が爆発的に増えたらしいが、「そうやろ、そうやろ」と身を持って思った。サーカディアンリズム(体内時計)と意識状態に関する実験で、わざと被験者に何日間も太陽光を浴びさせないでいると、どのくらい時間感覚や思考力などは安定性を保っていられるかというものなどもあるが、まさに自分が被験者というような状態であった。
興味深いといえばそうなんだが、その一方で真剣に参った。
日に日にへこたれやすく、回復しにくくなるのがわかったし、「それ」と「これ」は別のはなしでたまたま両方とも都合よくいかなかっただけ、というようなことでも、ひとまとめにして「みんな」悲しくなっちゃうし、思いつめると歯止めが利かず、もうそのへんから飛び降りて死んでしまおうかと思った。ただ、自分でも原因はわかっているので、一応飛び降りたりしないんだけどさ。

単に「かわらないこと」が「安定」ではない。ある変化、あるリズムがあるからこそ「安定」するのであって「固定」とは似て非なるものなのである。音楽における「安定感」だってそうだし、からだの使い方においても、サーカディアンリズムにおいても同じだ。「かわらない(かわれない)」ことは真剣に絶望的だ。
ほんと、おわってくれてよかったー。

思えばあの「テント地獄」の日々は寒い時期でもあったので余計にきつかったのかもしれない。
「あたたかい」ということだけでこんなにもハッピーになっちゃえるんだもんね。(気分は「おじゃる丸」だ)

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