えこひいき日記
2001年3月24日のえこひいき日記
2001.03.24
今日は四国に渡り、香川県牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館に行った。
この美術館は週に3日ほどしか公開されておらず、見学はすべて予約制である。ノグチが住居とアトリエにしていた建物を没後に公開しているもので、いわゆる美術館に行くのとは少し異なった趣がある。
私はノグチの作品は大好きで、ニューヨークに居た頃にはクイーンズ地区というマンハッタンからイーストリバーを隔てだところにある庭園美術館に通った。ここで初めてじかに『真夜中の太陽』という彫刻を見たときには泣いてしまった。彫刻を見て泣く、という体験は自分としては初めてだった。今でも自分はなぜ泣いたのかと考えることがあるが、よくわからないのだけれど、造形として(だけ)ではなく表現としての彫刻の「ちから」をまざまざと感じた体験だったから、かも知れない。札幌に出張があるたびに、大通り公園の『ブラック・スライド・マントラ』(彫刻であり滑り台でもある)に通い、モエレ沼公園(事実上、ノグチの遺作で彼の死後完成した公園。公園という「地球に施した彫刻」であり公共施設でもある)には完成前から通い、工事の人にいぶかしがられた。
ノグチが若かりし頃、パリでブランクーシ(ルーマニア出身の彫刻家)に師事したことは有名なお話しで、彼の影響を深く受けたと見て取れる作品をノグチは晩年まで製作しつづけている。「影響を受けた」と判断されるのは、造形がそっくりな作品が見受けられるからなのだが、だからといってそれは単なる「真似」や「コピー」というわけではない。
それは「かたち」をもつものの宿命ともいえることなのかもしれないが、ものが一旦「かたち」を持ってしまうと、それ自体が自明のことのように、あるいはその「かたち」を作ることを目指して「つくられた」もののように思われがちだ。しかし、少なくとも、ノグチの作品に関しては少し違うと思っている。作品は、その「かたち」に「つくられた」のではなく、その「かたち」に「なった」、ならざるをえなかったのだ、と思うのである。本来形にならないようなある「はたらき」が結果的にとった「かたち」がそれであって、けして「きれいなオブジェ」を作ろうとして作ったのではない。それが最終的にどれほど完璧な「かたち(フォルム、アウトルック)」を得ることになろうとも、だ。
しかしまた、作家の作品の完成品を前にするとき、私たちが目にすることができるのはその「かたち」に他ならないことも事実だ。「かたち」になったもの、それも完璧な「かたち」をもつ物が有する一種の拘束力を私たちはよく知っている。例えば、バーミアンの仏教遺跡を破壊したイスラム教徒がそれほどまでに偶像の崇拝を厭うのは、「かたち」の持つ支配力、拘束力をよく知っていて、その力が彼らの信仰する神の「存在」を凌駕するのを恐れて(見越して?)のことに他ならない。
そう考えると、彫刻で(それに限らんが)何かを表現する、しうるということは、ほとんど奇跡的な仕事というよりほかない気がする。
今回牟礼で考えたのはそんなことだった。
それというのも、牟礼にある作品はそのほとんどが未完成品だったからかもしれない。ノグチはここで20年ほど制作活動をしていたのだが、作品が完成する前に主がこの世を去ってしまい、大量との工具や素材とともに、作品の「たまご」たちはここに佇むことになったわけである。
ここに来る前、福岡である人(画商)から「牟礼のはあまり期待しないほうがよいかも…」と言われたのだが、確かに同じ庭園美術館でも、ニューヨークにあるもののような、完成品に持つある種の透明な緊張感を期待して訪れたとしたら期待はずれに終わるかもしれない。
しかし今回私は、未完のものはちゃんと「未完なんです」という顔をして佇んでいる様子を見、未完ながらそれなりの「ことば」を発しようとしているその様を見、またノグチの生活の場や、完成品の涼しい佇まいの中には見出せない「製作作業は汗と時間と忍耐なのだ」と言わんばかりの大量の工具や砥石を見るにつけ、静謐と洗練の具現のように見える作品もほかならぬその「生」の中から生まれてきたものなのだと、いまさらながら感じることができたのである。