えこひいき日記

2001年4月27日のえこひいき日記

2001.04.27

朝夕と日陰は寒く、日向と昼間は暖かいという、妙なお天気である。この寒暖の激しさも地球の温暖化の一環か。日本じゃないみたい。

ゴールデンウィークというものが今年も迫り来ているが、私は半分は仕事だし、あと、東京に行く以外は京都でなんかやっている予定のせいか、あんまり「お休みだぞ」という大々的な気分はない。しかし、「休暇」というのはなんだか響きがよい。うふふ。

最近は、なんだかんだとデスクワークが増加する傾向になるのだが、自分で自分の首をしめている気配もある。だって、事務所でパソコン3台も使ってるんだもん。最近は新しいプリンタ(スキャナにもなる)を購入したんで、面白がっていろんなものをスキャンしたりプリントアウトしたりしてるんで、遊んでいるんだか仕事してるんだかわからない有様。
しかし基本的にメカ音痴の私がパソコンを扱っていること自体、ときに自分で驚く。デジカメなんかも持っちゃってるしな(しかし、これは便利である。メモ代わりに画像を撮っています)。基本的に「勘」で扱っていることに変わりはないのだが、パソコンのセッティングよりテレビとビデオの配線作業のほうがわかんなかったりするし。だから舞台照明さんの鮮やかな配線作業などは見ていて惚れ惚れする。えらい!と思う。あと、携帯電話でメール打てる人もソンケイする。普段やり取りしている文書が長めのものが主体のせいか、親指でぱこぱこと文書を打つ耐久精神が私にはないのである。携帯に転送してまで見たいメールなんて個人的にはほんの少しだし。でもそのためだけに携帯に転送する価値はあるんだけれどね。

そういえば、短大で授業をしていた頃というのがちょうどモバイルメディアの過渡期で、最初の年はポケットベル、翌年から携帯電話、3年目にはメール機能付き携帯電話が「はやり」であった。授業中にこれらのものをどうしておくか、生徒と相談して決めるのだが、「四六時中誰かとつながれる状態でいたい」心理というのはなかなか切ないものがある。特定の「誰か」である人もいれば不特定の「誰か」を待っている人もいる。しかしその「誰か」で自分を支えていることは確かだ。他人の存在で自分を支えているというのは、自分の孤独を確認することでもある。宇多田ヒカルちゃんの歌の歌詞じゃないけど。確か鷲田清一さんも『普通を誰も教えてくれない』(潮出出版)の中に「電話という罪 より深い孤独に陥るためのメディア」という文章を書いている。恋愛小説を多く書いた森瑶子さんも、なかなか電話をかけられず、ついには相手の名刺を破いてしまい、でも後悔して他の人からその人の電話番号をそれとなく教えてもらったり…という女性をよく登場させている。
ひとはひとりでは孤独にもなれないんだね。
私はわりにひとりでいることが好きだったりするが、孤独が他人によって与えられることをすこしだけ知っているからなのかもしれないと思ったりする。孤独とは違う「孤立」も考えてみれば他人がいて成立するものだが、私は「孤立」より「孤独」が好きだな。(当然か)

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