えこひいき日記
2001年5月22日のえこひいき日記
2001.05.22
ものすごい人ごみの歩行者天国を歩いていても知り合いに出くわすことはほとんどないように、地球上に何億人の人間が生きていようと「わたし」というひとりの人間が会うことのできる人の人数はごく限られている。その中でも、自分の人生に深く影響を与えるような縁のある人と出会える確率は、これはほんとうに稀なことだ。
私はそんな稀な人と、今生でのお別れを言わなくてはならなくなってしまった。北海道から来てくれていたT嬢である。16日のことであった。つい10日ほど前まで京都で集中してレッスンをしていて「次は6月あたまにね」と言って別れたところだった。「無事に帰宅しました。ありがとう。また6月に」という内容のメールが彼女からの最後のメッセージになってしまった。
彼女のことは、この「日記」の1月13日分にも書いている。今、自分が書いたことを読み返してみたのだけれども、やはり同じことを今も思う。彼女はとても美しい人だった。お顔立ちもそうだったが、「生きる」ことへの姿勢が健康で美しかったと思う。彼女は最後まで「生きて」いた。
障害者の「生」は、時として「障害者なのに(がんばっている)」というような枕詞のもとに語られがちだ。たしかに障害を持つ一部の方の中には「(どうせ)障害者だから、(かわいそう)っていわれたくない」から「いきいき」して「みせている」方もいる。それはそれで悪くないことだが、でも本当にしんどいときに、こわくて「しんどい」とか「手伝って」とか言えなくなってしまって、結局「明るいわたし」を演じるしかなくなっている人もいる。(それは何も障害者の専売特許ではなく、「元気であたりまえ」を強要されているサラリーマンや主婦や、誰の中にもある「こころ」だ)彼女の中にもそういう部分が微塵もなかったかといえば、そうではなかったが、しかし、圧倒的に「健康」で、生きていることを楽しんでくれていたと思う。そう「確信」したのは彼女の部屋に入ったときだった。(皮肉なことだが、こんな機会でもない限り、私のような立場の人間がクライアントの私室に入る機会はない。ともあれ)
彼女のお部屋は、なんと言うか、きれいでかわいかった。横になって過ごすことの多かった彼女のベット脇には棚が設けられ、その姿勢のままでも物が取りやすいように、いろいろなものが置かれていた。しかしその置き方は、単に「必要だから置く」というようなものではなく、かといって生活用品を並べたときに生まれがちな「ごちゃごちゃ感」や「生活臭」を「消す」ために「飾った」というような置き方でもなかった。自分が快適に暮らすことを心得た、とても彼女らしい、かわいいお部屋だった。
それを見たときに、私はなんだかとても嬉しくなってしまった。それと同時にどうしようもなく涙が流れてきてしまった。飛行機に乗ったときも、空港に着いてからも、涙を止めることができなかった。
私は指導者としてだけではなく、出会うことのできたひとりの人間として、彼女のことがとても好きだったのだ。彼女を通していろんなことを学んだと思う。技術者としても、人間としても。そして技術者としては納得していても、ひとりの人間のエゴとして、彼女ともう少し一緒に生きていたかった。
でもどうしてだか、彼女とはまた会えそうな気がしている。彼女からもらったメールや、写真を見ても、「かなしい」と思えない。
また、会おうね。