えこひいき日記

2001年10月16日のえこひいき日記

2001.10.16

私は「気分転換」がてら、事務所の書類整理をすることがある。別に几帳面だからと言うわけではなく、文字通り「気分転換」なのである。事務所の書類や書籍類は増殖はするが、基本的に減ることはない。何となく、気分的にさえない日々が続くと、そうした書類たちはただただそのへんに置きっぱなしになり、まるで自分の内面が裏返しになって外に出ているかのような状態になる。それはそれで「自然」な状況なのかもしれないが、そういう状況でい続けたいと思っているわけではないので、「外」の自分を片付けることからはじめるのだ。何所に何があったか、何所に何を置いたほうが今の自分には動きやすいか、淡々と、見極めながらからだを動かしているうちに、気持ちもおさまって、また「やろか」という気分になってくるのだ。

書類整理をしていて、われながら驚くのは、意外に捨てるものが少ないことだ。増やしたいものも、意外にない。ブックエンドみたいなものとか、小物整理のための箱とかも、一瞬「あ、足りない。買わなきゃ」と思うのだが(お買い物は好きなので、そういうのってうれしくなるのだが)、配置や組み合わせを変えているうちに、手持ちのものでいけてしまうことの方が多い。モノは増えも減りもしないのに、分類や配置関係によって全然落ち着き方やはかどり方が違うのは、「からだの使い方」というのもそうなんだけど、なかなかの威力をもっているのである。

そんなことをしながら、「もしも胸部臓器(肺とか心臓)の位置と腹部臓器(胃や腸や肝臓などなど)の位置が逆で、心臓より上に胃があったら歩きにくいだろうか」などと考えたりする。肋骨は、生存に直接かかわる心肺を守るために在るのだから、心臓の周りにこの骨の囲いがないと意味がない。同時に肺も移動しなくてはいけないことになる。すると、今の「おなか」の位置で心臓と肺が肋骨に囲まれて「ドクドク」いったりしているのだから、前かがみなどはすごくやりにくくなる。振り向くことも、相当やりにくい。背伸びも無理があるし、やはりこの体制(体勢)での二足歩行は無理だ。腕による防御もしにくいから、けりでも入れられたら避けようがない(相手の人間が「蹴れる」体つきであるという前提においてだが)。血液を送るにも、おなかの位置では頭部から離れているし、脳への血液供給が大変。血圧も今より高くないと、安定供給は無理だろう、すると、この心臓のサイズでは無理だ。今と同じ能のパフォーマンス(思考力)を保とうと思うなら、心臓を巨大化させるか、脳の機能をリストラして絞るか、どちらかしかない。うん、やはり「むね」は「おなか」の位置にない方がよい。

「生活動線」という言葉がインテリア用語(?)としてあるが、これはものすごくフィジカルな問題だ。それは自身の身体認識の問題ともかかわる。「それ」が「なに」で「なに」が「どこ」にあるのかわからなかったら、つなぎようもないからだ。それはその人の挙動にも現れやすいが、家や部屋の様子にも反映されやすい。私はクライアントさんの何人かの部屋の整理の問題(とそれに纏わるフィジカルな問題。例えば眠れないとか、落ち着けないとか)にのったことがあるが、たいてい「それ」「なに」「どこ」の問題の混線(無もしくは未認識)に則っていることが多い。たいてい引っ越す必要も、大々的に家具を買い換える必要もなく、「配置」と、それが生み出す物同士の「関係」の問題であることが多い。

そんなことを考えながら、腕を動かし、足を動かす今日この頃でなのである。

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