えこひいき日記

2001年10月9日のえこひいき日記

2001.10.09

昨日、いとこの犬のお見舞いに行った。いとこの犬は、ゴールデンレドリバーで、男の子で、9歳。この夏、あまりにも夏ばて症状がきついので医師にみてもらったら、肺にちょっとした影が発見された。外科手術という方法もあるが、歳のことも考え、今後の彼の「生き方」を考えるに、手術は止めて、様子を見ることにした。一時は一気に5キロも体重が減少していたのだが、幼児(犬)食を食べて少し回復し、元気になってきていた。

けれども「また具合がよくないの」との知らせをもらった。「もう長くないかもしれない」とまで言う。それでお見舞いに行くことにした。

アレックスという名のその犬は、とても人懐っこくて礼儀正しい。目の周りの毛が白くなり、口元に力がなく、息も熱くて(微熱があるのだ)とてもしんどそうなのに、人が訪ねてくると喜んで走り回ってしまう。「もういいから、いいから」と言っても走り回って、顔をなめてくる。体はしんどそうだけれども、アレちゃんがいつもと変わらず「健康」だったことにうれしくなりつつも、ちょっと切なくなった。

しかしそれ以上に印象的だったのが、いとこ(13歳年下の女の子)とおばの態度だった。とても落ち着いていて、「ふつう」だった。いとこなどは「アレちゃん命」の子で、昔はよく「アレちゃんと結婚する」などと言っていたくらいだった。でも、とても落ち着いていた。それは、私には「どんな最後になっても、最後まで一緒に生きよう」という明るい覚悟のように思えた。

それはたぶん、アレちゃんにとっても「生きる希望」になると思うのだ。アレちゃんに、「どんなに苦しんでも生きていてほしい」と思っているわけじゃない。でも、望んで苦しむひとなんていないと思うけれども、苦しむ以外に自分の在り様がないときに、それをみて、愛するひとたちが苦しむことのほうが、たぶん病人にはつらいと思うのだ。私が病人なら、自分が死にゆくことを悲しんでもらうより、生きていることを共有したい。祈りとか、願望に過ぎないかもしれないけれど、自分と死に別れたときのつらさを記憶するよりも、生きて会えた時間をたくさん記憶していたいと思うのだ。だからアレちゃん、ずっと、最後まで一緒にいよう。堂々と最後まで一緒にいようね。

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