えこひいき日記

2002年1月14日のえこひいき日記

2002.01.14

成人の日であります。去年も書いたような記憶があるが、今年も成人式で暴れた新成人がいたそうで、律儀なことである。わざわざ自治体がお膳立てした式に行って暴れる、というところが妙に「まじめ」な感じがしてしまう。そういうところが「こども」なのかもしれない。あんまりよくない意味で。ディズニーランドで成人式をした自治体もあったようだが、それってほんとにむずがる「こども」を「管理する」やり方(しかも「他人」に頼んで)だなあ、と思ってしまうのは私だけだろうか。それが「成人式です」というのはすごいジョークのような感じがしてしまう。そういえば、昔読んだ「遊園地」に関するアート関係の特集記事の中に、こんな印象的な文章があった。「ミッキーマウスは誰からも愛されているわけではない。誰もが愛そうとしている存在なのである。子供たちがミッキーマウスを愛しているのではなく、子供たちがミッキーマウスに愛されたいと祈願しているのだ」愛されたくて、思いっきり明るく楽しい自分になる(させられる?)・・・それがレジャーならともかく、そこで行われる「成人式」ってなんだろう。それとも、「成人式」がレジャーみたいなもんなのかな。明日からいきなり自分が変わるわけではないから、レジャーでもいいのかな、という気もしてきてしまった。

そんなことを考えていて思い出したのが、島田雅彦氏の『ロココ町』という物語のことだった。私は文庫本になってから読んだので、手元にある本は1993年発行(集英社文庫)になっている。廃園になった遊園地がそのまま町になってしまった「ロココ町」を舞台に展開される「レジャー」と「日常」のぐちゃぐちゃな共演の物語(なんて書いたら島田氏に怒られるかしら)で、なんとなく「ディズニーランドで成人式」というのと共鳴する要素があるように思う。彼の書く物語は、ストレートじゃないというべきか、逆にオーバーストレートというべきなのか、わからないけれど「そんなことを正面から書いていいのか」みたいな話が軽妙洒脱に展開されていて、吐き気のようなものを感じると同時に、胸がスカッとする。どういう場でどのように自分の持つあらいざらいの「欲望」と向かい合うかは人それぞれだと思うが、大げさだけれども、こういう「リアリティ」に接する機会があったから、私は本気で「ディズニーランドで成人式」的発想を自分の日常の?行動に「翻訳」せずに済んでいるのかもしれない。

そだ、「ちょっと妙な本」という意味で、最近のお気に入りはエドワード・ゴーリーの『うろんな客』(河出書房新社)がある。タイトルから来る印象を裏切らず、このゴーリーという方は「なんや、この話」「なんでこんなお話を書いたんだろう・・」と一瞬考え込んでしまう作品を色々出している。『華々しき鼻血』とか『優雅に叱責する自転車』とか、タイトルだけでかなり魅力的だが、そこには翻訳者の柴田元幸氏の存在が欠かせないと私は思う。特に『うろんな客』の翻訳はすばらしい。やはり私のお気に入り、ユアグローの『セックスの哀しみ』もこの方の翻訳だったが、こちらもスムーズなすばらしい訳で、印象的だった。

ゴーリーの本で(うかつにも)私が最初に手にとってしまったのは『不幸な子供』という本だった。本当にタイトルどおり、ひとかけらの救いもなくまっすぐ不幸になっていく子供の話で、あまりの「素直な」展開に、書店で立ち尽くしてしまった。北野武監督の『この男凶暴につき』を観たときにも「なんという救いのない話だ」と思った記憶があるが、それを上回るストレートなお話でした。気の弱い人や「不幸」にシンクロしやすい人は立ち読みなどでは読まないほうがよいかもしれない。(逆に「ショック療法」で立ち直る人もいるかもしれないけれど)

カテゴリー

月別アーカイブ