えこひいき日記
2002年7月23日のえこひいき日記
2002.07.23
あれよあれよという間に日々は過ぎ、もはや世間的には夏休みに突入。梅雨も明け、祇園祭りも終わり、福岡ワークショップも終わって、京都に戻ってきた。
福岡での仕事は3日間で、3日間ともメニューが違う。一日目は個人レッスンを教え、2日目は8名の方が対象の「日常動作」をテーマにしたワークショップ、3日目は、以前このホームページ上でも告知したが「コンタクト」がテーマだった。予定より大目の18名の方が参加してくれた。
2日目のワークショップのメンバーは、平均的なレベルからいうと身体能力が高い(体力があったり、スポーツなどに親しんでいたり、特殊な技能を持っているなど)人たちばかりなのだが、彼らだけの問題ではないとはいえ、だからこそ簡単に「できてしまう」日常動作は「死角」になりやすい。そのような日々の動作から得られた感覚が、自分の身体的感受性(「重い」とか「軽い」とか「硬い」とかいう感受性と、その感覚に基づいてどのくらいの力で物を持ち上げたり、支えたりしようとするなどの判断)の基盤になっているにもかかわらず、それが何によって成立しているかは不問に付されやすいし、少々「しんどいな」と思ってもちょっと我慢さえすれば、ちょっと力んじゃえば、「済んでしまう」動作であるだけに、改善しにくいという難点がある。それはある種、自分の中にあった「神話」を突き崩す作業でもあるのだけれど、いろいろ楽しんでもらえたのではないかと思っている。特に女性陣に対してアプローチした「ハイヒール・ウォーキング」は見ていてなんだか気持ちかよかった。だって、かっこよかったんだもん。ちょっと認識を変えてもらうだけで、かっこつけなくてもかっこよく、安全に歩いてもらえるようになるのは、やはりよいものです。
3日目のワークショップ「コンタクト」は、文字通り「接触」と「コミュニケーション」がテーマである。パートナーと組むダンサーに対して個人レッスンや、あるいは小規模なリハーサルとして「コンタクト」を教えたことはあったが、今回はさまざまな人が一堂に会した状況での試みであり、私にとっても実験的な意味合いが強いワークショップだった。
「コンタクト」は、わたくし的に、とても大事にしたいテーマの一つでもあるのだが、個人的に、これをテーマにしたワークショップや指導に接して満足したことは一度もなかった。多くの場合、技術的にも心理的にも、「相手に接する」ことを少し急いでいるように思えるのだった。それが微妙な心地悪さを相手と自分の間に産みだしているような気がしていた。相手がいて、そして「触れる」という、相手との親和を深めるような方向に意図される行為がテーマだけに、そのような違和感は無視されがちな気がしていた。しかし私のワークショップでは、あえてその違和感からも目をそらさずに、その上でどのような接し方が適当なのか、考えることにしてみた。今回ワークショップをやってみて、そのようなことを感じているのは私だけではなかったこともわかった。おっかなびっくり人に触れていた人が、少し落ち着いてさまざまな接し方ができることを知ってくれたことは嬉しかったし、「接し急ぐことが暴力にもなることに気がついた」というコメントが参加者の方から出たことも嬉しかった。パートナーやヘルプの手を必要としている人に対して「(相手に)してあげなくちゃ」というようなモードがいかにその人の心身の自由や感受性を奪う事態になりやすいかということ、そしてそのような方法だけが「コンタクト」の方法でないことを少しだけ知ってもらえたなら嬉しいと思った。
心地のよいふれあいは、ひとりの力では生み出せない展開をも生む力を持っている。しかし、接することは、ときに「こわい」ことでもある。近づき会って、相手を侵食せず、自分ひとりではできなかったような展開を生み出すには、安易に「とけあう」くらいでは埒があかないのだ。私自身、仕事柄毎日人のからだに触れるわけだが、どちらかといえば、人にからだを触れられることも、触れることも、好きではない。やはり「こわい」と思っている。「こわい」けれど、そのこわさは単なる「恐怖」ではなく、大事だと思えるからこその「こわさ」であるような気がする。「こわさ」は、それ自体が「拒絶」や「悪意」はない。だからこそ感じている微妙なことを、相手に伝えたり、共有したりすることが難しいことがある。そうやって、拒絶ではない、悪意がないゆえの我慢を重ねてしまって、最終的に「拒絶」でしか自分を守れなくなるのは、やはりちょっとむなしい。
またこの続きをやってみたいなあ、と思っているが、いつになるやらそれは未定。