えこひいき日記

2002年7月27日のえこひいき日記

2002.07.27

わが事務所にADSL開通。なんとなくめでたいのであった。

それにしても暑い。こんな暑い中、足を運んでくださるクライアントさんに感謝だ。私なんて、さっき猫を病院に連れて行って帰ってきただけで疲れてしまった。私は普段、事務所に閉じこもりっきりになることが多いのだが、部屋の中にいてもこの暑さはしみこんでくる。それをいーわけにしてはならないのだが、福岡から帰ってきて以来、めぼしい書き仕事をしていないのであった。ゲル化した脳みそが固形化するのを促進すべく、ベランダに水をまいたり、涼しげな水盤に花を飾って目から涼を取り入れんとする今日この頃である。

中国産のダイエット食品で死者が出た、というニュースは耳に新しい。「中国四千年の歴史」「漢方薬はナチュラルで安全」というイメージと、経済格差が広がり、けっこう「なんでもあり」になっている現実のギャップ、インターネットなどのネットワーク技術による物流の変化、「手軽さ」という「罠」・・・ニュースにはいろんな言葉が飛び交っている。私のアタマの中にも色々な言葉が飛び交ったが、まとめると「認識」と「情報」と「現実」の関係・・・という話になるのかしら、と思ったりした。私のアタマの中には何人かのクライアントさんの顔がぐるぐると動いていたのだが。もちろん彼らは今回の事件の当事者ではないが、同じような構造の問題に捉えられているという気が、私にはしたのだった。健康食品に何百万円も投じようとしてしまう人、「ボランティア」という言葉に弱く自分の生活を置いてまでほとんど反射的に参加してしまう人、いわゆる「完璧主義」でノイローゼになってしまう人、宗教にかまける人・・・
「自分が思っていること」としての「認識」、その「認識」を補強したり覆したりする「情報」、そこで「みえてくるもの」としての「現実」、それをどうとらえるかという「認識」・・・それはらせん状につながりながら行動、もっと大きく言っちゃえば日々の集積としての人生を作っていくものなのだろう。「(らくに?)やせたいなあ」という気持ちがあって、「こんなんありまっせ」という情報があって、その情報を「それはいい!」とか「ほんまかいな」と受け取る自分がいて、そして行動が分かれていく。
私の中にも「太りたくない」という気持ちはある。だから「手軽に希望を満たしたい」という欲望の存在を否定する気持ちに私はなれないが、ではどうして私はサプリメントに手を出さないのか、と考えてみたりする。ひょっとして、それは「希望」と「期待」の違いなのかな、と思ったりする。私はどっちかというと「やせたいわ」という「希望」は持つが、それを自分以外のものに「期待」することはあまりしないのかもしれない。そして幸いにも、「希望を満たしたい」という自分の希望に固執しなくてすむ程度に希望が満たされなかったり満たされたりしているのかもしれない。「希望」が「固執」に変わり、それが「期待」に変わったら、目をつぶって飛び込むように「えいっ!!」と手を出してしまうかもしれない。「固執」が強く長いほどに、他人が与えてくれる胡散臭い「ミラクル」を夢見てしまうかもしれない。でも「ミラクル」なんてめったにない・・そう思ってしまう私は現実主義者なんだろう。
でも現実を生きるのはなかなかタフだよな、とも思う。だからいいところで柵を作って、その柵内に自分を囲って生きていくことも、私には否定できない。お守りのように健康食品を食べ続けたとしても、熱を出しても筋トレを欠かさないとしても、悩み事があるとつい「瞑想」に逃げてしまうとしても、毎日同じ時間に掃除機をかけないと「気が狂いそう」になるとしても、それがその人の「日常におけるサバイバル方法」だとすれば、それを否定する気持ちになれない。でもその人にその意思があるなら、「それ以外の方法もあるかもね」ということを知ってもらいたい気がする。それが私という他人の与える胡散臭い「ミラクル」(癒し?慰め?)にならないように注意しながら。

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