えこひいき日記

2002年8月8日のえこひいき日記

2002.08.08

仙台から帰ってきた。「こちらは涼しいですよ」と聞いていたのに、なぜか到着したとたん向こうも猛暑となり、なかなかハードであった。普段、空調の効いた室内での仕事が多い分、ちょっと暑い中を歩き回るのが多いと、ばてる。やや発作を起こして倒れてしまったりしたのだが、まあ大丈夫なのである。

ところで、野口英世氏の肖像が新しく千円札になるそうである。「野口英世」というと、いわゆる「小学生のための偉人伝」みたいな読み物の中で知っているのみで、こう言ういい方はなんだが、架空の小説の中の人物同様に遠く、常人からかけ離れた「偉人ぶり」ばかりが印象にあって、なかなか親近感がわきにくい。少なくとも、ほんの数年前まで、私はそうだった。
野口英世という人がその業績によってではなく、感受性を持った人間として「なんか、すてき」と思えたのは、イサム・ノグチを通してであった。イサム・ノグチとルイス・カーンの共著『PLAY MOUNTAIN』(マルモ出版・1996年5月10日第1版発行・4800円)の中の、イサム・ノグチの『自作による自伝』の中に、彼と野口英世氏の邂逅が短く帰されているのだ。ちなみに同じ「野口」だが、野口英世とイサム・ノグチは親戚関係にあるわけではない。当時、コロンビア大学の医学部に入学したノグチは自分の進むべき道を迷っていたそうだ。そんなときにロックフェラー研究所にいた野口博士に合い、何かと言葉を交わしていたようだ。

「・・・(野口博士は)授業の方がすこし進んでくると、私を助手に使おうともされました。医師の資格もないのに、博士は私に手伝わせようとされましたが、「医者にはなるな」とも言われました。「医者は科学者とは違う。アーティストと言えるかもしれない。しかも人々の感情や意思を感じる能力をもつことが出来るのは、ひと握りの者だけである。けれども君は医師というより、アーティストになるべきだ」と、言われるのです。」

もちろん、ノグチはこの一言でアーティストになることを決意したわけではない。懐疑的な読み方をするならば、これはあくまで「自作による自伝」なので、「うそ」ではないが「脚色」は入っているのかもしれない。ある体験が記憶になり、それを思い出したときに事実がちょっと作り変えられることはよくある。しかし、たとえそれがオリジナルの体験とすこし違ったとしても、「そのように自分に感じられた出来事」という部分だけはその時点において真実なのだろうから、それはやはり「ほんとうのこと」なのだろう。
野口氏が言ったことにしろ、ノグチによる野口氏が言ったことにしろ、「医師=アーティスト」という発言はなかなか素敵だ。だが、そういう人物が奇跡のように希少だということも、また事実だ。しかし皆無ではない。その部分が、希望なのだろう。奇跡的にアーティストの感性を備えた医師に出会うことも在るかもしれない。そういう思いそのものが希望なのだろう。

私は医師ではないが、機械的な技術者、指導者でありたくないと思っている。以前にもこの日記に書いたことだけれども、この仕事をしていて、クライアントさんが辛い症状から解放されたり、痛くなくなったりすることは勿論嬉しいのだけれども、それがレッスンのゴールではないと認識している。痛みがなくなったり、状況が改善されて「ああよかった」と胸をなでおろして「オワリ」ではなくて、痛みや「できない」と思い込んでいたことで諦めていたことに対して自然な気持ちで「やってみたいな」「やってみようかな」と思ってもらえるような、そんな気分になってもらえたら嬉しいと思っている。日常の、なんということはない営みかもしれないけれど、そんな中ですこしクリエイティヴな気持ちになってもらえるようなら、とても嬉しい。それは「装飾」とか「贅沢」とは似て非なるものだ。そういう感受性が人間の「いのち」を支えていると思っているから、こういう仕事をしているのかもしれない。
なんということはないことだけれどもね。

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