えこひいき日記
2003年4月18日のえこひいき日記
2003.04.18
昨日はちょっとがっかりすることがあり、なんともいえない悔しい気持がして、すこし泣いてしまった。自分の犯した失敗ならまだしも、これは他者が犯したミスの重なりなので詳しいことをここに書くのは控えるが、自分が迷惑をこうむった側なのに、その怒りよりも数倍、相手がこのような「つまらない」ミスを犯すことが、こんなにも馬鹿馬鹿しく腹立たしいものかと、自分でもすこし驚いた。
しかし私は基本的に現実主義者なので、これをぐだぐだ引きずっても事態が好転などしないことを知っている。嫌な思いは嫌な思いだが、それを私が持ち運んで時間をすごしても、少しも解決にはならない。損なわれた信用は謝罪の言葉によってではなく、これからの行動でしか挽回されないものだ。その行動がまだ示されていない今は、彼らのことをどう評価するにしても材料不足だし、時期尚早である。
そうわかっていても、やはりへこんだ。怒る、というより、情けなかった。
今日の昼間2時間ほど仕事の合間があって、本当なら来週から怒涛のごとく押し寄せるワークショップの準備等に当てるはずだったのだが、ちょっと気分を変えたくなって、何必館に逃げた。
「京都現代美術館 何必(かひつ)館」は、私のお気に入りの場所のひとつである。私立の、けして大きくない美術館だが、それだけに一つの建物の中にある美へのポリシーは濃い。5階は特に素晴らしい場所で、エレベーターで上がっていくと、ぽっかりと庭が現れる。けして物理的には大きな庭ではないのだが、見ていて飽きない。おあつらえ向きの特大のソファも用意されており、庭を眺められる場所にはそれぞれ椅子も配されていて、この美術館を管理する方の意識の高さがありがたい。行き届いているが、その手の入れ方はけして人を緊張させるものではなく、さりげない印象で、むしろ人を安心させる力を持っているようだ。無頓着や無神経さと、行き届いた先にあるさりげなさは似て全く非なるものだ。私は猛烈にそういうものに飢えていたのかもしれない。
金曜日とはいえ昼日中なので、美術館は私の貸しきり状態。風にそよぐ庭の紅葉の木を飽かず眺めていても、とがめる人もいない。静寂は最上の音楽。壁を一枚隔てた外は人であふれる大通りなのに、とても静かだ。しかし無音というわけではない。遠くバイクや車の音がするし、エレベーターの振動などもちゃんと聞こえる。それでも静かだと感じられるのは、それらが全てちゃんと耳に入っているからだろう。うるさいからと聞かぬ努力をしなくてよい。聞いてよいのだ。それが私の心を静かにしてくれる。
美術館を出ると、どっと車の音が押し寄せてきた。すごく遠いところへ行って、帰ってきたような気がした。ちょっと嬉しくなった。
それにしても、何必館では「北大路魯山人展」が開催中だったのだが、その中には有名な椿の柄の大鉢も展示されていた。何回見ても思うのだが、あれはどうやって使うんだろう?魯山人の器はみな実用的で、実際に花をいけたり、テーブルにセットしたりして展示しているのを見たこともあるし、「こういう料理を盛るとおいしそうかしら」などと具体的に思い浮かべる楽しみがあるのだが、あの大鉢だけは、「飾っておく」いがいの用途が思いつけない。だれか知っておられる方がいたら、教えてくれ。