えこひいき日記

2003年5月12日のえこひいき日記

2003.05.12

仕事の合間に飲むお茶がおいしい。最近、ポットのお湯をアルカリイオン水にしてみたらおいしくて、なかなかもとの水道水には戻れないものがある。数年前、夏用の水出し緑茶を煎れるのにどの水がよいかと思って、市販の水を幾つか試したのだが、私的な好みはアルカリイオン水だった。水出しの緑茶は、多めに入れた緑茶葉に氷を置き、その氷が溶けた水で冷茶を煎れるというものである。一度にたくさんお茶を入れることは難しいが、なかなか味わい深い一杯がいただける。その氷を作るのに使ったのがアルカリイオン水なのだが、ホットでもいけるんですね、これが。
最近よく飲むのは麦茶とか、ルイボス・ティーである。その合間にコーヒーや紅茶、あるいはカップスープなんかを飲んだりすることもある。なんか、まろやかでおいしい気がするんだよなー。以前「このフィルターを通すとお酒やお茶の味がまろやかになります」というふれこみのセラミックフィルターを買ってきて試したことがあった、確かにそのフィルターを通すとびっくりするくらい味は「まろやか」にはなるどだが、どうも旨味としての苦味や渋みも取れすぎてしまうような気がして、あんまり好きになれなかった。でもこのアルカリイオン水は、結構ちょうどよいかな。「市販の水は、コストのほどには味や成分的に水道水と変わるところはない」という人もいるが、この微妙な違いにコストをかけてもいいと思うことも在る。微妙だから無価値というものでもないのだ。もちろん経済的な問題はあるから、無制限にとはいかないけれども。

そういえば、フランスの小学校で「味覚の授業」というのがあると聞いたことがある。その授業がレギュラー・クラスなのかどうかまではしらないが、小学校に一流レストランのシェフがきて、土や水や太陽が違うと野菜の味が違うことや、いろんな土地の水にはそれぞれ味の違いがあることを教えるのである。「土のミネラルが水の味になるんだよ、だから、水には土の味がするでしょう」というシェフの言葉が印象的だった。
今は物の流通が便利で早くなって、日本にいても世界中の食材を「ふつうに」口にすることが珍しくなくなっている。近所のスーパーで買った鶏肉や野菜は海を越えた中国産だったりチリやペルー産だったりすることも珍しくはない。きっちり「地のもの」を食べようとするとむしろ多大な努力が必要であることもある。料理だって、別に京都に居るから京料理ばかり食べているわけではなくて、いろいろ食べる。和食も好きだが、イタリアンも、ベトナム料理も、タイ料理だって好きだ。そういう生活は、悪くない、好きだわ、と、私は思っている。
ただ、私はちゃんと「おいしい」ものを食べたい。「おいしい」と思ってものを口にしたいな、と思うのである。ちゃんと感じて、味わって、食べたいと思う。「済ます」とかいう感覚で食事をするのは、もうできるだけやめたいと思うようになってきた。例えば、ときどき、ちょっとおしゃれでお値段も安い何店舗かチェーン店があるような店に入って思ってしまうことがあるのだ。「本当においしいと思ってこのメニュー、作っているのかな」と。メニューの種類もそこそこ一杯あるし、一見バラエティー豊かに見えるのだが、実は「味わう」こと以外にプライオリティーがおかれて作られたメニューではないかしら、と思うことが少なくなくなってきた。そこの料理が、けしてまずいわけではない。でもおいしくはなかったりするのだ。そういう食事の仕方を自分の「ふつう」にしたくない、と思うようになってきた。

だからといって「おいしんぼ」の誰かさんのように、金に糸目をつけず、始終食材の吟味やいちゃもんつけ?に時間をかけたいと思っているわけではないのだ。あくまで自分の身の丈にあったやり方を選びたい。でもおろそかにするのもやだな、と思い始めた今日この頃なのである。

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