えこひいき日記

2003年5月15日のえこひいき日記

2003.05.15

本屋さんに行ってお目当ての本だけを買って出てくるというのは、私には難しい作業である。この間もガイドブックだけ買うつもりだったのだが、ついほかに3冊ほど本を買ってしまった。
そのうちの一冊が『ノイローゼになった犬』(スティーヴン・ベイガー・著 エリック・ガーニイ・絵 永井淳・訳 晶文社)というものである。私自身は今犬と暮らしていないし、その予定もない。なのになぜこんな本を買ったかというと、犬がノイローゼになるのは、犬自身の問題ではなく、たいていその飼い主である人間の問題だからである。そしてまた、「ノイローゼ」という概念を持つのも犬ではなく人間の側である。にもかかわらず、人間は犬を介してしか「そこにある状況」を認識できないことが多い。犬は、ただその状況にふさわしい振る舞いをしているだけということが多いのだ。その「振る舞い」の意味や原因を理解できないと、人間もまた犬と同様に「ノイローゼ」になれる。
「ノイローゼ」とは、他者と生きる自分の、コミュニケーションの病である(あたりまえだろうが)。相手に期待されたり、期待したりして、その期待に応えられなかったり、応えてくれなかったりして、その結果に納得がいかず、改善の方法も見つからない状況が続けば、人も犬も「ノイローゼ」になることが出来る。「ノイローゼ」などという病名で言われると、もうどうしようもないような印象も持ちがちだが、こうした病や症状は自動的なものではない。関係性の問題なのだ。そしてまた、「ノイローゼ」になるのは相手との関係を破壊したいからではなく、むしろ保持したいから(でももう今のままではだめだから)であることも忘れてはならないことだ。でも「ノイローゼ」になっちゃったとき、それは過程の問題だと考える余裕がなく、ただその結果にだけ頭を抱えてしまうことは多い。
そしてもちろんこれは犬と人間だけの問題ではなく、同様の問題は人間同士の中でもある。人間同士の話なら、身につまされすぎたり辛かったりしてきちんと読めないことでも「犬の話だ」と思えば読める人もいるかもしれない。この本はイラストも入っていて、ユーモラスに書かれている。ただし、なにぶん「ノイローゼになった犬」の本なので、記述が犬に対して具体的である部分は、そのまま人間には当てはまらないところも多い。また、この本は欧米の生活スタイルの中で生きる犬について書かれているので、そのまんま日本で暮らす犬に当てはまらないところもある。でも読んでいてなかなか面白いと思う。

猫は犬ほどにはノイローゼにならないかもしれないな、などと、我が同居猫を見ていて思う。多分それとて度合い、割合の問題に過ぎないと思うのだが。猫だってノイローゼになれる。ただ、犬や人間ほどノイローゼにならなくても、相手との関係を保てることが多いように思えたりする。
私と猫との暮らしの中で「知らせる」と「放っておく」は、大事なコミュニケーションである。ときどき、猫と暮らしていらっしゃる方とお会いして思うのは、「うちの猫ったらこんなことするんですよー」というお悩みをお持ちの方は、猫に対してする自分の行動が唐突過ぎるという人が多いのでは、ということである。相手が猫だから説明しなくてもよいと思っているのかもしれないし、自分で思ったことはもう自分の中では相手に伝えたつもりになってしまうのかもしれないが、「知らせる」「対話する」態度が欠けていることが少なくないように思った。例えば、自分が「かわいー」と思ったときに猫を急に抱きしめてしまったりとか、抜け毛を取るのに何も言わずにガムテープを押し付けたりとか、悪気はないのだが猫の状況を考えずに行動すると、相手が驚いて警戒心を持つのは当然であろう。
また一緒に暮らしていると、猫も私も一人になる時間は不可欠である。相手が「嫌い」だから「離れる」わけではない。もしも愛情と比例する分だけ相手にひっついていなければならないのだとしたら、多分お互い気が狂う。

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