えこひいき日記
2003年5月23日のえこひいき日記
2003.05.23
6月6日刊行予定の本の最終稿チェックが一応終了。最終校正は東京の編集部と、京都の私のところでと同時に行っていたのだが、昨日は校正内容のすり合わせのために編集部の校正箇所がファックスで送られてきて、事務所は50枚ほどの紙にまみれたのであった。ともあれこれで一段落。もうこれで、どうしようもないのだ。ぜいぜい。
ところで私のところの猫が肉食にカムバックしてしまった。もう最近は魚が主成分の猫用缶詰を出しても見向きもしてくれない。日本の猫のごはんは圧倒的に魚主体なので、なかなか困ったことである。
日本で猫と暮らしている人には想像外のことかもしれないが、アメリカでは猫のごはんは肉主体なのである。うちの子はニューヨーカーなので、多分、子供の頃から肉の猫缶詰などを食べて育ったと思う。私もアメリカで暮らしていたときはそれを与えていた。しかし日本に帰ってくるに当たり、半年以上かけて魚食教育を行い、帰国後は日本の猫的食生活に適応できるようにしたのである。日本に帰ってきて8年。この子も御歳10歳。3年位前からシニア・フードを食べ始め、その銘柄がアメリカのものであるせいか、徐々に肉食生活に味覚が戻ってしまったらしい。先日、うちの子が気に入っているドライフードのメーカーが出しているレトルトのごはん(チキン&ターキー)を試しに与えたら、もう一切魚を食べなくなってしまった。全く持ってけんもほろろなのである。うぅぅ。
とある愛猫家サイトのアンケートの中で「自分が猫に対して親ばかだなあ、と思うときは?」という質問に対する1位の回答が「自分の食費をケチっても猫の食費はケチらず、けっこう高級なものを与えてしまうとき」というのがあったが、私もご多分にもれません。「チキン&ターキー」のごはん、高いんだもん。でも猫の好むものは買ってあげちゃうんだよな。
(まだ正式に刊行されたわけではないが)1冊目の単著が一段落を迎えたところで、そろそろ2冊目のほうに取り掛からねばならない。ほんとはこちらの方が今度出る本より先に出版企画が通ったのだが、その本のことを考えながら「こっち方面のことも書いておいたほうがよいな」と書き始めた「関連しているけど別テーマ」の原稿である今回の本の方が、先に仕上がってしまったという次第。
その本に挿入する予定の写真のモデルをJ&Mさんにお願いしているのだが、先日それの野外撮影を行った。撮影場所は加茂川べり。飛び交う鳥や、散歩中の犬や、人間や、自転車を練習している人たちなどを眺めていると面白く、結局のところ撮影よりもおしゃべりをすることのほうに忙しかった気もするが、まあよいのだ。楽しかった。
1999年にも舞台の映像製作用に彼らの写真を撮ったことがある。顔の写真は一枚もなく、ビデオ映像も写真も彼らの手足ばかりなのだが、私は個人的に結構気に入っている。今回も、顔をとることを目的としない撮影をお願いしているのだが、おしゃべりをしながらもファインダー越しに見る彼らの手足は、彼らの言葉のテンポにどこか似た動きを見せ、それぞれに意思を物語る。相変わらず、きれいな手足だなあ、と思いながら見てしまう。でも1999年とは違う手足の表情を見せるようになったことにも、私は気がついてしまった。以前よりそれぞれの個性が際立つようになった。そして手足というのは部分なのだけれども、その部分をして全体の・・・その人の性格とか、個性というものを・・・以前よりずっと「語れる」、彼ららしい手足の存在感が備わり始めたように思った。しぐさが、静寂を裏切らぬ雄弁さを持つようになった。それを私は美しいと思う。「表情」というものが、「言葉」・・・あるいは「意思」というものが、こんなところにも存在するのか、と、改めてはっとさせられながら彼らの動きを追う。人間の身体がこんな風に「しゃべれる」のだなあ、ということを、舞台ではなく、なんでもない川辺の風景の中で感じる新鮮。それが映像的に映せているかどうか、自信はないのだけれども。なんだか幸福な午後なのであった。