えこひいき日記

2003年9月10日のえこひいき日記

2003.09.10

明日は満月のはずだが、まだまだ暑くてお月見の風情でもない。しかし少しずつ空気や光に透明感が出て、夏とは違う季節になって来ているのはわかる。明日の満月のために、室町時代のウサギのまん丸い香炉と、現代作家の鉄製の花台を組み合わせ、ひまわりの花を月に見立てて花台に飾り、お月見の用意とした。もう少し涼しければ秋らしい花でもよいかもしれないが、このくらいだと夏の名残のひまわりの月も悪くないかと思う。

このような現象を何という名称で呼ぶのか知らないが、例えば「あの人どうしているかなあ」などと思っているとその人から連絡があったり、「これが食べたい」と思っているとそれをたまたま頂いたり、道で「このへんで猫に会えないかな」とつぶやいたとたん猫に会えたり等々、ということって、割とあるような気がする。ただ、「思っていること」と「起こったこと」との間の関連性をどのように捉えるかは人によって違うだろうし、そのような関連性に注意が向いていない(気がつかない)ことだってあるし、何でも関連があるようにこじつけるのも乱暴というときもある。でも「こじつけ」と「気がつかない」分をさっぴいても、割とよくあることのような気がする。少なくとも私は結構そういう体験をする。
だがそういうことが起こるからといって、どうということはなく、日々わりと「ふつう」であり、そういうことがおこるのは何となく当然のことのような気もするし、それが嬉しいことの場合は「らっきぃ」と思ってちょっとにっこりしたりもする。

本日はその「あんらきぃ」バージョンがあった。まあ、これとてたいしたことではないのだが。
先日通販で大きな鏡を注文したのである。レッスンを行う部屋には既に大きな鏡が取り付けてあるのだが、もう一つ、同じビル内に「準備室」として借りている部屋に鏡がないのはちょっと不便かという気がしたので、注文をしたのだ。注文した品が届いたとき、かすかに「みょうなかんじ」がした。何がどう、妙だと感じているのかわからないまま、「まあいいや」という感じでパッケージを解いてみたら、鏡が割れていた。ガラスの部分がきれいにフレームに納まったまま割れていたので一瞬「保護シールか何かが張ってあってそれにしわがよっているのか?」と思ったが、見事に稲妻模様に割れているのであった。事務所や準備室にある様々なものを私はいわゆる「通販」で様々なものを購入してきたが、こういうことははじめてである。割れた鏡を見て「がっかり」したし、その分微妙にへこんだが、事前の「みょうなかんじ」がクッションになっているのだか、それ以上の気持ちは湧いてこなかった。だって、私が欲しいのは鏡であって、それ以外のものではないのだもの。発散を必要とするほどの感情の高ぶりも蓄積もないし、私は「発散」をしたいのではなく「解決」がしたいのだ。通販会社に電話をして事情を説明した。オペレーターは劇的なまでに謝ってくれた。メロディラインの抑揚を押さえたオペラを聞いているようだな、などと思ってしまった。「もうしわけございません」を一言言うにしても、何所で呼吸を詰まらせ、わずかに声のトーンを変えるかによってその意図することの伝わり方は変化する。そのオペレーターの方の言い方は見事だった。多分、こうした事態に怒りをぶつける消費者も少なくないのだろう。彼女のせいではないのに、窓口業務である以上、彼女に相手の感情の発散を拒絶する権利はほとんどない。たいへんなお仕事である。しかしそんなことを冷静に感じたり考えたりしながら電話している私は、実に妙な消費者なのかもしれない。別にそういうことを分析することを目的として話しているわけではないのだが、どうにも目に入って(耳に入って、というべきか)しまう。ともあれ、代わりのものを送ってもらい、その際に今回の割れた鏡を引き取ってもらうということになった。
そしてさきほどその「代わり」の鏡が届いたのだが、パッケージを見たとたんまた「みょうなかんじ」に見舞われて、私はちょっとだけがっかりする心の準備をしながらパッケージを開けた。案の定(?)、鏡は割れていた。前回よりはかわいらしい割れ方ではあったが、使用に耐える割れ方ではなかった。しかしこんなこともあるんだねー。「やれやれ」という気分が支配的なまま、私は電話をとり、通販会社に電話をした。2回目のことということもあり、オペレーターの声の「悲劇性」はパワーアップしていた。たいへんなお仕事である。ともあれ、再び代わりのものを送ってもらう手配をして、電話を切った。
さすがに今度は大丈夫だろう・・・と希望的観測を逞しくしているのであるが、パッケージを目にしたと気にどんな気分になるものやら、乞うご期待なのである。

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