えこひいき日記
2003年10月4日のえこひいき日記
2003.10.04
仕事の合間を縫って建築家の安藤忠雄氏の講演を聞きに行った。自分の事務所から歩いて10分ほどのところが会場だったので、本当に助かった。そして講演は面白かった。既に写真集や著作を通して、あるいは現地を訪れて知っていた建築についても、本人の口から語られるエピソードが聞けるというのは一味も二味も違う体験である。
自分が一生を通して「影響を受けた」といえる人はさまざまと思うが、安藤忠雄という建築家も私にとってその一人だ。ただ「彼の作品が好き」という意味で「影響を受けた」という以上に、ある意味で私にとってのターニングポイントを与えてくれたクリエーターなのである。何所にご縁があったかというと、私がまだ高校生だった頃だが、私の父が彼に商業施設の設計を依頼したことがあったのだ。そうして出来上がったビルはいまも京都の高瀬川沿いに建っているが、出来上がったビルを見たときの感動や、設計計画を語る父のいきいきした笑顔は、今でも私の中で新鮮である。出来上がった建物は、通常なら川に背を向けるようにして建てると思いがちなところを(現にそのビルの前に立っていたビルはそうであった)川をも建物の「庭」のように取り込んだものだった。その設計は、本当に新鮮だった。建築前にはこの斬新なデザインに渋い顔をしていた人をも納得させる出来上がりの姿だった。こういうものを作れるんだ、こういうものを創ってもいいのだ、という認識は、当時高校生だった私にそんなに大げさでもなく、「おとなになること」への希望を与えてくれたと思う。いわゆる商売人のサラリーマン家庭に生まれた私が「それ以外の人間になってもいい可能性」を「現物」として認識したのが安藤氏だったのである。誰しも、多少なりともそうではないかと思うのだが、「反抗」とか「敵対」の意味ではなく、規制の枠外の行動をとるのは勇気がいると思うのである。それが自分にとってある種「必然」であればなおさらそうであろう。「ならなくちゃいけないおとなではなく、なりたいおとなになってみてもよいんじゃないか」ということをはっきり認識させてくれたのは、私にとって安藤さんだった。
そういう極私的な理由であったが、私はいつか彼に「お礼」が言いたいと思っていた。相手は恐らくよくわけがわかんないと思うのだけれども「ありがとう」と伝えておきたいという思いがあった。
んで、結局どうなったかというと、講演会は大盛況で、講演後も会場で販売されていた著作にサインを入れてもらう人たちの列が途切れることはなく、私は混雑をかいくぐり、邪魔にならないように今回の世話役でもあった父の側でほんの一言挨拶をするのがせいいっぱいだったのであった。
だからちゃんと「お礼」が言えたというようなものでもなく、その理由も安藤氏は皆目ご存じないままなのだが、まあ仕方ないや、と思ったのであった。ひょっとしたらまたいつか機会があるかもしれないし、もしもその機会が今後一生なくても、感謝の気持ちを忘れずに私が私の仕事を自分の気持ちを偽らず勤めることが、御礼の一部になるかもしれない・・・などと勝手に思ったのであった。何らかのかたちで直接お礼が言える機会に恵まれることに越したことはないのだろうが、自分が「影響を受けた人」の全員が現実にお会いした人ではなく、同時代にすら生きていないこともあるのだから、その方々に「お礼」がいえるとしたら、はばかりながら自分の生き様を通してだけかしら、と思ったりするのである。講演の中で安藤氏は「仕事や何かが面白くないというのは簡単である。しかし面白くないことも、自分が面白くする努力をすれば、少しは面白くなるかもしれない」とおっしゃっていたが、私なりにその作業を深めていくしかないか、と思ったのであった。