えこひいき日記
はじまり/おわり
2004.01.05
本日からクライアント業務再開。「仕事始め」というやつである。さすがにたっぷり休んだので、ブランク感もなく、レッスンが楽しい。
私の脳細胞が活動を再開したのは3日の深夜からであった。それまでは、本当になーんにもしなかった。本を読む気さえ起こらず、絵として文字を眺めることは出来ても、言語や思想として文字を読み取ることができなかった。初詣に行っても、なーんの希望も思い浮かばない。「希望」というものがないわけではないのだが、自分はいったいどうしたいのか、という具体性がないのであった。つまり、まだ自分の中で何かが整理しきられていなかったのだ。
それが突然、霧が晴れるように動いたのが3日の深夜であった。とりあえず、具体的に思いついて、「やろう」と決意したことは、ワーク・デスク周りの整理であった。もっと端的に言うと、本の移動である。アレクサンダー・テクニック関係の本や資料をごっそり別の棚に移動させた。これまでその本を置いていた場所は、デスク周りの「一等地」でありながら、実のところもう1年以上もアクティヴに稼働していなかった場所であった。それはちょうど「名誉総裁」のように高い位置(?!)陣取りながら、実のところ私の中では「閑職」だった、という感じだったかもしれない。要するに、これが<今>の私と「アレクサンダー・テクニック」というものの関係なのだと、改めて思ったわけである。ジャーナリズム(情報と情報収集)やテキスト(規範や資料)としての「アレクサンダー・テクニック」は<今>の私にとってそれほど必要なものではない。こんなことを書くと誤解をされそうなので言い添えるが、それは私にとってアレクサンダー・テクニックがもはや必要ない、ということではない。私にとってアレクサンダー・テクニックは今も、多分今後も、興味深いものである。ただ、私は自分の活動を「アレクサンダー・テクニック」の名称でくくれる範囲に留める意思はない、というだけのことである。
それに類することは今までにも多くの人に言ってきたし、この「日記」のコーナーにもぽつぽつ書いていたと思うのだが、たかが「本を移動させる」ということなんだけれども、具体的なアクションとしてアウトプットしたのはこれが初めてだったかもしれない。そういう意味では、私にとって小さくない出来事だったように思う。
アレクサンダー・テクニックに限ったことではないが、あらゆる技法がメソッドや方法論としてある程度の知名度を得た時点で、逆にそれがその方法論の限界(縛り)を成す、ということがある。ある行動や方法に名称を与えて、その名称でもってその行為を認識してもらい、その名称を広く多くの人に記憶してもらうことは、その行動形式や方法論がある種のステイタス(安定した通常的認識)を得るために必要なことではある。しかしその認識パターンにはまることが即ち「おわり」でもあるのだ。「○○(メソッド名)ではこういう」「○○ではこうするものだ」ということをテキスト・ライクに言及することは、少なくとも言語上なんら間違いではない。しかし実践的な行為の自由をその認識でリミットすることは、リミットすることが正統派であるかのような認識にとどまるのは、今の私には苦痛である。
ただ、関係のとり方として私はアンチ・テーゼという方法で「アレクサンダー・テクニック」から距離を置くことは好まない(私、あほなアレクサンダー・ユーザーには辟易しているが・・・そういうやつに限って「アレクサンダー・テクニック」にしがみつこうとするし・・・アレクサンダー・テクニックそのものは魅力的だと思っているので)。また他の何かのメソッドに答えを求めているとか、興味が移ったというのでもない。私が関心するのは、私なりの方法論である。答えなんて、自分の中にしかない。自分の求めるものに対して私に何が出来るのか、私は何を感じ、どうしたいのか、それをどのようなかたちで表現できるのだろうか、ということだけなのである。それは所詮つたない作業かもしれないし、結果的には既に誰かも言ったような結論にたどり着くだけかもしれない。しかし私は自分でやってみなくてはいけないと思っている。だってそうしないと、わかんないんだもん。
そんなわけで、「御大」のテキストや資料をごっぞり移動させ、デスクの側ではあるがメインのスペースの外に置いた。アメリカ時代の資料や過去のワークショップの資料も箱詰めして、デスクの側だけれども隅の方にまとめた(こいつらも「一等地」近くに居座り続けてもらった割には、使っていないんだよな)。テーマとして継続的な流れの中にある資料のみ、スペースを作ってデスク周囲の本棚に配置。パソコンの位置も移動(これでテレビを見ながらパソコンが打てるようになったわ。ははは)。こうした作業の乗じて拭き掃除なども丁寧にやってみる。意外と細かい埃が溜まっているものなのだ。普段もそれなりに掃除機をかけたり拭き掃除をしたりはしているが、こうしてみないと気がつかない埃もある。
こうして本たちが新しい場所が与えられると、新しい作業の流れが見えてくる。特に大きなものを買い足したわけでもなく、物をいっぱい捨てたわけでもないのだが、配置だけでこんなにも「世界」が変わるのは面白いものだ。物理的にはスペースもけして広くなったわけではないのだが、デスク周りは広くなったような感じして嬉しい。気がついたら4日の朝であった。オールナイトで掃除&移動をやってしまったのであったが、ようやく「年末」があけて「年始」となった心地である。
まじめに次の本のことを考えよーっと。