えこひいき日記

こころやさしき・・・

2004.04.18

イラクで拘束されていた日本人2人も解放とのこと。よかった。しかしやはり世論と政府の対応には少々落胆する日々である。解放が知らされたときに喜ぶというよりもしぶいーい顔をして会見に臨んでいた政府高官の面々の様子は印象的だった。「よかった」よりも「めんどくさそう」な感じに思えた。国会内でも外交的にもいろいろあって、仕事多くて大変なのはわかるのだが、「頼むから政府に面倒かけないでよね」みたいな態度はいかにも疲れたサラリーマン風で、ある意味お気の毒に思ってしまう。「自業自得」と強く言う人たちやわざわざ匿名で日本のご家族に嫌がらせをしてしまう人たちも、きっと自分のことで精一杯で、毎日いっぱいいっぱいで、しんどいんだろうなあ。この拉致や戦争は「他人の業・他人の得」としたい・・・要するのに関わりたくない、考えたくないわけよね。
その気持ちもわからなくはないし、私だってそう思っているところがある。私は私の人生をまっとうに生き抜いて死にたい。邪魔なんかされたくない。しかし個人の生活や意見と重なるようにして自分の所属している地域やら国やらの意見が自分の意見でもあるかのように作用する世界に生きていることも現実。日本という国の国籍を有する限り、我々は日本人と見なされる。それは時に誇るべき事実でもあるが、時に個人としては戸惑うべき事実ともなる。例えば、いくら個人として反対をしていても自分が自衛隊を派遣した国の国民であることは事実だし、その事実において、日本人以外の人から「日本人」として扱われるということが起こりうる。それは「他人ごと」とは言えないことだと私は思う。
なぜ日本人拉致は起こったのかを考えるにあたって、その理由が5人の日本人が危険な場所に行った危険さやテロや誘拐・拉致の卑劣さ(要するにこれは「悪者の仕業」と断じること)にあるというよりも、極めて政治的なポイントにあることを忘れてはならないと思う。彼らが拘束されたのは「日本人」だからで、彼らが解放されたのは彼らが思っていた「日本人」ではなかったから、といえるのではないか。ここでいう「日本人」とは、イラクの(拘束者達の?)目線で言うところの日本人・・・アメリカの追随者で、イラクに軍隊?を派遣した、よくない国の人たち・・・という意味だ。日本人であればみんな「日本人」=「敵?のようなもの」と見られる状況を作り出されたのはなぜか。その部分も考えなくてはいけないのではないだろうか。

「鉄腕アトム」という手塚治虫原作の漫画の主題歌の一説に「こころやさし、科学の子」という文言がある。このあいだあるクライアントさんと話をしていて出てきた言葉だ。特に最初からアトムの話をしていたわけではなく、様々な話から展開していって、ふとこの一節が出てきたのだが、なんか、じーんとくる言葉だなあ、と思ってしまった。未来は明るく、今がんばったことは未来に必ず報われる、それを疑わない雰囲気がある。技術や努力の方向性は善なるものに違いないと、疑わない純粋さがある。
でも、アトムより後の世代を生きる我々は「努力」や「技術」の方向性の複雑さを知ってしまって、ちょっと落ち込んでいるのかもしれない。それで疲れてしまったのかもしれない。我々は善ではないものに対しても努力することが出来る。そしてその行為に踏み込んでしまったときにその「努力」を盾に自分の行動を「善」だと思い込もうとするほどに、善をコード化してしまったのかもしれない。
信じていたがそうではなかったと感じると、何が起こったかという事実そのものよりもその認識にたどり着いたショックの方が大きくて、落ち込むものだと思う。自分が踏み出すべき新たな方向を見出し踏み出す前に、その「落ち込み」と向かい合わなくてはいけないのは常なのだが、こいつが怖くて、問題の存在認識そのものを消そうとすることさえある。気がつかない振りをしたり、架空の敵を作り出して、都合の悪いことはそれが理由や原因であることにしたりすることもある。
私が日々向かい合っている問題はイラク問題ではないが、それとよく似た構造の問題は個人の間や家族の間にも存在していることを目にすることは多い。国と国の問題ほどには規模は大きくないが、手強さはけっこうなものだと思う。その中には、家族の問題や自分の身体の不調に対して政府高官そっくりな態度を示す人もいるし、もっとマイルドにではあるが基本的にイラクの「○○旅団」と似たような対抗策を講じて空しい結果に涙する人もみる。私の仕事がラッキーなのは、国政のような巨大機構の問題と違って、本人の認識が変化すればわりと速やかに改善が進むことだろうか。つまり「個人」という単位で向かい合う形式が取れているというところだ。社会や家族などの所属の関係性は、いわば「どこの国の人か」みたいなものだが、そこに属しながらもレッスンの中では一旦そこを離れて「あなたは誰か」ということを話せるのが救いだと思っている。「団体」の立場で接すると、いわば相手が「別の国」の領土内にいるために「国」というような団体の単位で対応するのは実にまずい事態や、下手に相手の領域を侵す「領土問題」みたいにしてしまうと誰も助からないだろう事態に遭遇したりもする。まあ、問題が解決に向かう「速やか」のスピード感は人によって違っていて、ものすごい速さで変化が起こってそれでちょうど良い人もいれば、何年もかけて問題を理解し改善していくことがその人にとって最速ということもあるし、「すみやか」というのも一概ではないですけれどね。
心優しき未来に私も臨めるのなら、私は自分の気持ちに嘘をつかないことでしかそこに向かう道筋が良くわかんないかもしれないな、などと思う今日この頃であった。

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