えこひいき日記

背骨の自立

2004.05.10

3日間に渡る京都芸術センターでの『京都の暑い夏』の担当ワークショップも終了。プログラム的には予定した内容の三分の二程度しか出来なかったが、バラエティーに富んだ展開に広げるかわりに(時間の関係でそのような選択をせざるを得ないというか)一つ一つの動作を丁寧に消化してもらうように心がけたつもりである。短い時間だが、シンプルすぎてかえって考えてみる機会がなかった動作や身体構造の思い込みなどについて少しでも深まり、今後に生かしてもらえるものがあったなら嬉しい。私自身は仙台から帰って来てすぐという日程でもあり、個人レッスンもその前後に入っていたので、スケジュール的にはハードだったが、でも楽しかった。

ところで久々に大勢の人たちに一時にお会いして、それぞれの口から語られる普段感じている困難感や疑問について伺っているとある共通性が見えてくる。レッスン上に集まってくる人たちはここ色々なところ方集まってきていて、普段顔を合わせているわけでもないし、ダンスのジャンルすら同じではないにもかかわらず、おんなじことで悩んでいたりするのは、改めて面白い(funnyではなくinterestingという意味で)ことだなと思う。差異は比較対照が一つあれば簡単に見出せるものだが、共通性はより多くの対象を得ないと見えてこないことが多い。そういう意味で、ワークショップというのは私にとっても大いに実験場的意味がある。
常々私が疑問を持っていたのは「普段のお稽古」の方向性である。稽古が稽古になっていないような訓練を重ねていることが多すぎると思っている。その場で「こなせる」器用さだけを競うような稽古の仕方、出来ないとそれをしかることで教師が自分の体面を保ち、適切なアドバイスや発想の拡張に努めずただ「量」に頼った稽古方法だけを推奨するやり方に、嘆かわしいものを感じていた。また、そのような稽古の仕方に疑問すら抱けない生徒の側にも悲しいものを感じていた。土台、権威主義者というものは思い込みが激しく愚かしい間違いを犯すものだが、そのような意識に基づいた稽古は肉体を老いさせる。そのような「老い」は年齢と関係ない。だが「老いて」、痛めて、それに気がつくなら、それもチャンスであろう。
「お稽古する」とは単に特定の本番のためのリハーサルをすることではない。「○○のための」行為ではなく、自らの身体の可能性を探り、知っておくこと、そのための方法が稽古だと私は思っている。発表会とか舞台などの本番が決まって、それのリハーサルをすることの方が目標は立てやすいだろうが、それはあくまで限定的な訓練である。普段の稽古の時にしか培えないものがある。それを確実に行わなければ、本番はいつまで経っても付け焼刃だと思う。そういう舞台を観るのは、こういう仕事をしているものとしても、観客としても、辛い。

ともあれ、ワークショップのテーマとは直接関係ないかもしれないけれども、今回私にとって新鮮な発見だったのは「背骨の使い方」である。そんなことは、この仕事をしていれば以前からしょっちゅう親しんでいることではあるのだが、改めてその可能性の面白さを見たような気がした。「ああ、ここに気をとられすぎるから、もっと効率の良い連動をかえって途切れさせてしまうのだな」ということが良くわかった。「どうすればできるのか」というよりも「どのようにできなくなるか」がよくみえてくる。そうしてみると、例えば普段のレッスンの中で武術の心得がある人を教えているときに時々聞く「浮く」「背骨が浮いている」という表現がどのような現象を指すのか、武術は全くやったことのない私にも実感を伴ってよくわかるような気がした。多くの武術の達人や先生は、多分、ご自分の体感としてそうとしか言い表せない境地に達してからそれを言語化するので、もはやそうとしかいえないのだと思うが、だからといってそれを目指す者が言葉どおりに「背骨を浮かそう」などと思ってできるものではない。しかしあらゆる作為性から自由なところで反応を高めることが出来たら、それは必然的な、とても容易なことなんだな、と、改めて思った。
こうした反応力を形式や型で縛ることが稽古だ、訓練だ、と思っていたらとんでもないな。見掛けは似たようなものでも、内容的には大いに異なるものがいくらもある。それを見る目を養うことも大事だし、その一方であらゆる動作はカタチを伴うものだから、「型」はやはり目にたつし、ついてまわる。けでども、だからこそ型とはそれが最も効率の良い必然的なパターンであるべきで、それに陥ることを目的とすべきではない。
身体訓練の上でどのような「罠」が隠されているのか、また新わかったような気がした。

仕事を長くやって来て面白いのは、あるものに対する実感というか、リアルさが増すことである。それは時にとても辛いことでもあるが、でもまたこれを面白いと思える自分が居る。その間はまだこの仕事をしていくだろうな、と思う。

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