えこひいき日記

ゆかた

2004.07.16

今日は祇園祭・宵山である。午後6時から歩行者天国となったこの界隈は、人であふれていて、そののコンビニに行くにもいつもの倍の時間がかかる。そういうことは不便ではあるが、しかしこの賑わいはなかなか素敵。でもこれに混ざるのはしんどいんで、毎年買う厄除け粽は先日まとめて購入し、鉾の見物もささっと昼間に観るのである。夜は三条通を通る南観音山のお囃子の音を窓の下に聞く。
ところで遅ればせながら、一人で浴衣が着られるようになった。まだ帯は文庫しか結べないし、自分用の浴衣と帯は2着づつしかないし(ひとつは今年買ったもの。大正ロマンっぽいデザインの浴衣だが「似合う・似合う」とおだてられて購入。もう一着は母から譲り受けたもの。渋い中に遊び心のある浴衣だが、父親はこちらのほうを「似合う」という)、格好よく着こなすにはまだまだだが、ひとに着せていただくのではなく、自分で着る事をしてみるとなかなか新鮮である。着物のたたみ方とか、帯の結び方は、なんと数学的なことか。帯も、あのような美しい形と、ホックもボタンも使わずに解けずに結べる機能性とを、よく両立できるものだと感心する。美しい形と機能性を両立させるためには、きちんと帯の角っこをあわせて二つ折りにするとか、幾何学的に規則的にひだを作るとか、まるで折り紙のような作業が必要である。「折り紙」というとこどもの遊びのようだが、その技術はロケットのソーラーパネル作りにも応用されているくらいで、バカには出来ない技術である。限られた帯の長さや幅を様々に折ったり結んだりすることで、同じ帯から生まれるとは思えないような表情を生み出す様は、なんとも魔術的な眺めである。それに色彩感覚!洋服ではありえない色や柄の合わせ方をするのだが、そのはではでなセレクションが妙にしっくりおさまるのが不思議である。最近は着物で使うような柄をシャツやスカートにも使ったりすることが珍しくないが、やはりポイント使いに留まらざるを得ず、あわせ方には限界があるような気がする。そう考えると着物はすごい。なんなんだろ、これ。
身のこなしも大切。街を歩いていると、この界隈は浴衣姿の若い人も少なくないが、どうにもだらしない着方をしてしまっている人もいる。若いひとがわざと袖やすそを短くしたり、派手な髪飾りやイヤリングをつけるのは、それはそれでやんちゃなかわいらしさがあるが、「着こなし」という意味で浴衣での動きがこなせていないと、その魅力は半減する。「やんちゃ」も「下品」になってしまう。反面教師的に参考にさせていただいているわけだが、上半身構えに飲めると、帯は苦しくなるし、お尻は出ちゃうし、下駄は引きずるし、かわいくない。洋服だと同じような動きをしてもこれが「苦しくない」から気がつきにくいんだよなー、と改めて思ったりする。
祇園祭や五山の送り火が終わっても、この夏はせっせと浴衣の着こなしを研究しようと思う。身のこなしも含めて。ちょっとしたお出かけ着感覚でささっと着物が着られるようになったらいいなあ、などと考えている今日この頃である。

カテゴリー

月別アーカイブ