えこひいき日記

2005年4月15日のえこひいき日記

2005.04.15

概ねソメイヨシノは散り、北のほうの桜が咲き始めた。たまに外に出て、車窓から葉桜になりかけた木々などを眺めるのも楽しい。

様々なことを考える。考えているうちに日々は過ぎていく。過ぎはするが去るわけではない。そんなわけで、私の頭の中は桜吹雪さながらにいつまでもいつまでもさまざまなマテリアルが舞い散っているのであるが。

先日、風邪で高熱が続いた、と書いたのだが、それは目出度く回復。しかしながらまだそのあとがあったのでした。
回復後、電車に乗って大阪に行き、観劇をして幾つかの店を回り、帰路に着いたのであるが、その帰路の電車内で隣に座った若い男性が盛大に咳とくしゃみをしたのだ。口を覆いもせずに盛大にやらかしたあと、さすがに「悪いな」と思われたのか、少し離れた席に移っていかれた。そこでも盛大に席をしておられたが。
ちょっとやな予感はした。
そしたらその夜からぞくぞくとし発熱。夜が明けてすぐさま最近お世話になりっぱなしの(先日も風邪でお世話になったし)内科に行くと「扁桃腺ですね」と言われた。扁桃腺。懐かしい言葉だ。こどもの頃にはよくそのような診断を受けたものだが、こどもの時期が終わってからはトンとご無沙汰である。なんだか「こども」といわれているようで気恥ずかしい。医師いわく、先日の風邪で抵抗力が低下していたところに感染したので、このようなあまりならないよう症状にもなるようである。あららー
先日の風邪よりはずっと軽い症状だったが、微熱は数日続いて、下がった。微熱中は仕事が終わるとすぐさま横になる日々であった。しんどいので横になるしかないのだが、しんどいときには横になっていても心地よくは眠れない。心地よい眠りが訪れてくれるようになるのは、ピークを脱してからである。その眠りはなんとも気持ちがいい。横になっていればすーっと眠れるって、シアワセだぁ、と嬉しくなってしまう。もうしんどくないのだが横になって眠りをむさぼりたいとすら思う。

そのようなわけでベットでくたくたする習慣がつき、最近は自室でDVDを観たり本を読んだりしているのが楽しみである。本は、町田康氏の最新刊『告白』を少しずつ読んでいるのだが、うーん、胸が痛い。著者の言葉にもあるように「なぜこのようにまで思弁的なのか」とやはり思わずに入られない主人公・熊太郎の中に渦巻く気持ちが克明に言語化されていて、笑いながらもずきずきくる。自分の思考や感覚を凝視しすぎて行動や言語、あるいは社会性といった「自分と他者をつなぐ、一般性」からどんどん沖に流されるように遠ざかっていく熊太郎の様はどこか痛い。そのように自分の思考を凝視する「まじめさ」を備えているだけに、なんか面白くも痛い。
あと、しりあがり寿氏の『真夜中の弥次さん喜多さん』もすごいんです。独特のびみょうな感じの絵と強烈で奇天烈な状況設定に、ひょっとしたら気楽に奇天烈な漫画なのかしらと勘違いしそうになる御仁もいるのかもしれないが、これはけっこう大変な作品だと思う。「リアル」ってなに、ってところをばしばし突いています。私はこれを読んでいると吐き気がしてくるのだが、それはすごいという証拠。

夜になるとさっさと自室に籠もるくたくた生活に若干の変化があったのは先日で、遅くまで大阪にいることになるとわかった日に、思い切って大阪に泊まってしまうことにしたことである。京都と大阪は近いので、まず「大阪に泊まる」ということはあまりしない。「東京に泊まる」とか「札幌で一泊」というのはあまり違和感がないが、「大阪に泊まる」ということには一種の「違和感」を覚えたりする。つまり「必ずしも泊まらなくてもよい距離」という感覚が強いからである。
でもその違和な感覚に和してみたくなった。
29階にあるホテルの部屋からは大阪の繁華街が一望できた。高層階から眺める夜の風景は素晴らしい。しかし一夜空けて眺める風景もなんだか面白かった。その日はよく晴れていて、遠くの風景も真下の様子もよく見ることが出来た。あらゆるものに影があるんだな、と気がついた。路行く人にも、電線の一本一本にも、高速で走り去る車にも、電車にも、かたや不動にたたずむビル郡にも、みんな律儀にきちんと影が付いているのだ。観念的にはそりゃあたりまえのことなのかもしれないが、ビジュアル的にきちんと「目撃」することって、意外とないのではないかしら、と思った。これも当然のことかもしれないが、ただ外的な情報としてそれを知っていることと、体験や実感を伴ってそれを知るのとでは、やはり違う。
そうやって律儀に世の中が機能しているのをみると、なんだか「いいかも」みたいな気分になってきて、私は元気な気分でホテルをチャックアウトしたのだった。

帰ってくると先日購入した花入れが届いていた。これは陶芸家の塚原興世氏と画家の戸田勝久氏のコラボ作品で、とても気に入って購入してしまった品であった。気張らない軽やかなうつくしさ・・・というか、「美」というひとつの「威力」がけしてその前に立つものを威圧しないこと、それでいて確かに美しいこと・・・どれはとてもシンプルなことかもしれないが容易なことではないと思う。側に置いていて幸福な気分になる。

嫌な気分になることもいろいろ合ったんだが(そのことについては後日まとめて書くとし)、まあとりあえず何とか生きていこうと思うのであった。

カテゴリー

月別アーカイブ