えこひいき日記
2005年6月3日のえこひいき日記
2005.06.03
最近の私は仕事が終わると猫のために着物を着ている。なぜ「猫のため」かというと、うちの猫は最近歳をとって甘えっこになり、私のクライアント仕事が終わったのを察すると膝に乗ろうと近づいてくるのである。しかしながら無条件に膝に乗るわけではない。うちの猫には厳然たる好みがあるのだ。
うちの猫としては、自分が膝に乗ったときたっぷりとした布がそこにあることを好むのである。そういう好みからすると、着物は布の重なり具合といい、膝に乗ったときのたわみ具合といい、ベストらしい。着物を着ている私を見つけると足取りも軽く近づいてきて、さっと膝に乗る。
逆にいえば、せっかく近づいてきたのに私が着物を着ていないと、猫はあからさまに「むっ」とする。先日、仕事着のパンツスタイルのままで床に座っていたら、猫は「あ、お仕事終わったのね」と嬉しそうに近づいてきて、膝に乗るべく前足を上げたところで「むっ」とした表情を示すのだった。理由は明確。私が着物を着ていないからである。「せっかく近づいてきてあげているのに、どうして着物じゃないのよ」という感じで不機嫌な様子を隠さない。仕方がないので、手じかにあったエプロンを膝に広げて「とりあえず、これでご勘弁を」と私が言うと、猫はしぶしぶ膝に納まった。
猫話つながりで言うと、「omo」のM・M女史も大の猫好きであった。先日初めてお店にお邪魔したのだが、初対面からフレンドリーに接していただき、楽しい時間を過ごしてしまった。彼女のお宅にはたくさんの猫たちがいるようだが、中には体の具合の悪い猫をおうちに連れてきては暮らしているような感じらしい。猫好きであることは間違いないが、その態度はいわゆる「猫かわいがり」の接し方ではなく、どうやら猫たちは「お腹すいてるんやったら、うちによってごはん食べて行く?」的なナビゲートでもてなされて、自由で愛情深く暮らしている気配が伝わる。
最近着物に凝っている私は夏までの着物として伊勢木綿の着物が欲しくなり、いきなりM・M女史のお店を訪れ、置いてある反物をどんどん籠から出して、鏡の前でどんどん当てていって、一つの反物を選び、着物に仕立てていただいた。
ここで相変わらず思ったのは、「似合う」という現象の不思議である。結局私が仕立てていただいた一反は、紺色とレンガ色のような色の大胆な(私にはそう思えた。仕立てあがって着てみたらそんなに派手ではなかったのも意外であったが)縦縞のもので、最初手にとって時にはまさかこれが自分に似合うとは思っていなかった。粋な反物だな、とは思ったが、自分には派手だとも思ったし、それを広げで自分の肩に当ててみたのはほんの「お遊び」の気持ちだった。しかし鏡の中を見てみて、意外に似合っていることに気が付いて愕いてしまった。
M・M女史もその反物はお気に入りで(それはM・M女史自ら指示して作ってもらっている反物だそうだ)、自分も着物にしようと思って当ててみたが似合わず、悔しいから羽織に仕立てたのだという。うーん。
そこでまたわからなくなる。彼女と私の、何が違うから、似合ったり似合わなかったりということが起こるのだろうか?決定的ななにかがあるとは、私には思えない。例えば彼女と私は年齢は違うが、でも年齢ほどに見かけの相違があるという印象は私にはない(彼女はとても若々しくかわいい人なのだ)。すごく体型が違うわけではない。多分身長も同じくらい。しかし確かに何かがあって、同じように好きな反物でも似合ったり似合わなかったりする。「似合う」とは何と何とのマッチングを指すのだろうかと、改めて不思議に思う。
そして「似合う」ものを選び取れること、身につけることができることは、真に自分の「居心地」を支えてくれるような気がする。他人の目や、場における居心地もそうだが、自分がこの身の内に在られるという「居心地」も。不思議なものである。