えこひいき日記
2005年8月17日のえこひいき日記
2005.08.17
今年は阪神大震災から10年の年にあたり、日航機墜落事故から20年目の年であり、終戦から60年目にあたる。特にお盆を挟んで墜落事故と終戦記念日は並ぶかたちになるので、なんとも気持ちは複雑である。テレビでも相次いでその追悼の番組、題材としたドラマなどが放送され、泣きすぎてぐったりしていると猫が寄ってきて、一緒に寝てくれた。(夏場は暑いせいか、寝るときにはあまり寄ってこないのであるが)
お盆休み明けの本日から通常業務に復帰であるが、やはり休みを取ると楽である。
お盆休み中にある舞台を観にいった。これは京都芸術センターが毎年開催しているセミナーの発表会で、日本舞踊、能、狂言を習ったことのない日本人や外国人が3週間ほどの訓練を受けてその成果を能楽堂で発表する、というものである。発表会では略式ながらちゃんと衣装もつけ、音楽のほとんどはテープであるが、中にはお師匠さんがそばで歌ってくれるものもあり、なかなか見ごたえがある。
今回、私のクライアントさんも何人か参加していた。彼らはいずれもダンス経験者で日本舞踊未経験者なのだが、なかなかどうして決まっていた。未経験者が3週間ばかりの特訓で舞台に立っているのである、この時点で上手い下手を判じるのは早計というものだろう。しかし発表の場である能楽堂には上手い下手とは関係ないよい緊張感が漂っていて、その緊張感が観客の目をひきつけていて、なかなか見ごたえがあった。スタイルを自分の言葉に変えていくまでにはさらなる研鑚が必要だろうが、しかし「スタイル」というものが持つ力を改めて感じた時間であった。型には意味がある。力がある。もちろん踊り手としてはそれを自分のものにしなくては意味が薄くなるのだが、しかし型をなぞってみるのもまた意味がある過程だと思う。
発表会に至るまでには、それぞれのクライアントさんから日本舞踊独特の所作についてレッスンの中で質問を受けたこともあった。私は門前の小僧的にいわゆる伝統芸能を敷居が高いものと思わずに楽しんできたので、西洋の踊りとの違いをあからさまに感じたことがあまりなかったのだが、なるほど考えて見ればいろいろと違いはある。西洋の踊りの法則で日本舞踊を踊ろうと思ってもしんどい(というか、そういう認識で踊っていない)ところは多々ある。そういう違いに触れてまた自分の踊りを考えていくことはとても大事なことだと思う。今後の彼らが楽しみである。
ところで、「なんとなく菜食」という食生活は今もって続いている。しかし厳格に菜食を通しているわけではない。休み中は実家での会食などもあったので、お肉もお魚も食べた。しかしそれで以前の食生活に戻るかと言うと、基本的には「なんとなく菜食」のままである。自分ではもっと他愛なく以前の食生活に戻るかも、と思っていたので、意外といえば意外であります。
例えば私は餃子が大変好きで、こどもの頃原因不明の病気で病院に入院していたときにも(めまいがして、立てなくなって、何を食べても吐いてしまうので入院中は点滴で生きていた)「退院したら餃子をいっぱい食べたい」と思っていたくらいで、今もって好きである。お盆休み中に母やいとこたちと「おやつ」にラーメンと餃子を食べた。これが久々に食べたお肉だったかな。大変おいしく頂いた。しかしそれだけといえばそれだけ。特に何か爆発的なリバウンド的リアクションが生まれるものでもなかった。
その後、会食やら外食の際に何度かお肉も食べたし、餃子を食べる機会ももう一度あった。しかしそれはそれでおいしくいただき、だからどーということはないのである。
ふーん、て感じ。でもなんだか楽しい。