えこひいき日記

2005年8月30日のえこひいき日記

2005.08.30

朝から食べたものをみんな吐いてしまうという体調で一日が始まってしまった。これには複数理由がある。直接的な原因と考えられるのは、朝からハンバーグとか食べてしまったせいかと思う。この1ヶ月くらい「なんちゃって菜食」に体調がなれていたせいなのか、いきなり挽肉の塊を食べると気持ちが悪くなってしまったのだ。おいしく口に入れたのではあるが。
とはいえ、私は普段から自分のからだになぜか合わないものはすぐ吐いちゃう方だし、吐いたあとはすっきりして回復も早いのだが、本日ややダメージを引きずってしまったのは、前日にあったことも影響していると思う。そのせいであまり眠れなかったのだ。正確に言うと、立っていられなくなって2時間ほど気絶して、その後眠れなくなり、明け方になって数時間眠った、ということなのだが。
前日何をしたかというと、広島の原爆投下の日をテーマにしたドラマを少し観たのである。全編観たわけではない。エンディングを少し見ただけなのである。

言語的にきちんと表現するのが難しいのだが、私には時々「自分が入れない場所」というのに遭遇する。小さい頃からそうなのだが、ほんの時たま、自分の意思とはお構いなしにある場所に入ろうとしても全くからだが動かないということがある。そういう場所がやたらあったら私の人生相当不便なのだが、幸いそんなに多くはない。しかし広島の原爆ドームや原爆資料館がなぜか私にとってそういう場所のひとつなのである。

広島には中学校の修学旅行で行ったのだが、私は資料館に入ることが出来なかった。クラス全員を乗せたバスが資料館に近づいてくるに連れて私はからだがこわばって石のようになるのを感じ「あ、ここは私は入れないのだな」と感じだ。しかしながら修学旅行は団体行動。自分がバスを降りられない言い訳をどのように言えばいいのだろう・・・とこわばった身体の内側で脳をフル回転させているうちに、バスは停車してしまった。でも私の心配は結果的に杞憂に終わってくれた。不思議なことに、クラスメイトは私に何の言葉も掛けずに次々とバスを降りていったのだ。なぜかは分からない。もしかしたら私の記憶がどこか間違っているのかもしれない。しかし私の記憶によれば、どういうわけだがクラスメイトも教師も何も言わずにバスを降りていき、私は灯りが消されたバスの中でじーっとしていたのである。やがて見学を終えてみんなは戻ってきて、その後は普通に会話をしていたような気がする。なんだかわからないのだが、私は無事に放っておかれたおかげで、変な言い訳をせずにこの局面をクリアすることができた。

しつこいようだが、私は感情や意思で特定の場所に行くことを拒んでいるつもりはないのだ。原爆資料館の見学は、けして楽しい内容のものではないが、だから見たくないとか、そういうことではない。太平洋戦争や第二次世界大戦の事に関しては小学校六年生の夏に突然「ある義務感」に駆られて戦場から生き残って帰ってきた人や空襲を生きぬいた人たちの生々しい手記(全6巻)を読んだりもした。その中には広島や長崎の原爆に関する記述もあった。これとて、好みや楽しみという意味で「読みたくて」読んだというわけではないが、しかしこのようにそこで何があったのかを断片とはいえ読んだこともあるわけなので、自分としては好みでそれ(広島の原爆資料館や原爆)を避けているつもりはない。

昨日何気なく目にしたのは、ほぼドラマのエンドロールだけであった。本編のドラマが終わり、キャストやスタッフの名前が画面に流れる中で実際の被爆者の写真が映し出されていた。白黒の、被爆者の写真。亡くなっている方の写真もあればひどいやけどを負った姿で映っている人もいる。
あのときに広島や長崎で起こった実際のことに比べれば、エンドロールの時間いっぱいに流されたこの写真とて、ほんの一部にすぎないだろう。でもその写真を見た直後に私はなんともいえない気持ちに襲われていた。どういう言語が適切なのか分からないが、悲しみと怒りと絶望感と虚脱感にまみれた集中した何かが私の内側から皮膚の下すれすれまで一気にいっぱいにしてしまうような感じがした。
そのあと私はものすごく心臓がドキドキしてきて、息が出来なくなって床に横倒しになった。そのあとも意識はあったが猛烈に寒さを感じ、毛布を二枚かぶってじっとしていた。普通に寒かったら「ぶるぶる震える」というような動きもできるのかもしれないが、身体が違う素材でできているかのようにうまく動くことが出来なかった。そうやってじっとしているうちに眠ってしまい、目が覚めたのは2時間くらい経った後だった。そのときにはもう体の自由はきくし、別に気分も悪くなかったが、奇妙に目が覚めてしまい、横たわったままテレビを見ていた。テレビでは、以前放送したらしいドラマを再放送していた。それは20年前に事故死した恋人に再会する男性(しかしその男性は故郷の地で恋人が20年も前に事故死していたことを知らないのである)を主人公としたドラマだった。ドラマの中では、死んだ恋人が男性を死の世界に誘うようなこわーいシーンもあるのだが、生きていることや死んでいく(死んでいる)ことを自分の意思や意識の範疇でとらえられる生者や死者が妙に「しあわせ」に見えてしまったのは、その前に感じたことの影響だろうか。

原爆投下は明らかにホロコーストである。原爆投下を「戦争を早く終わらせるための行為だった」などと正当化するのは、勝利国であることを傘に着たただの詭弁であると私は思う。同情するつもりはないが、自らの行為に何か正当性を与えなくては原爆を投下した一兵士も、その部隊のメンバーも、ひいては「アメリカ人」も、生きていけないのだろう。それほどに、こんな意味のない大量虐殺は双方の「人間」を戦後も殺し続ける。
私はいわゆる「戦後の子」なので、実体験としてあの戦争を知らない。でも「だからわからない」というのではないと思っている。それは戦時中の誰かや戦場に行った誰かと同じ理解や感想を持てる、などという意味でいっているのではない。そんなことは無理。でも、60年前の戦争が私にはどうしてもただの過去の出来事や他人事とは思えない。だからどうすればいいのかは、まだ分からないのだけれども。

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