えこひいき日記

2006年3月17日のえこひいき日記

2006.03.17

先日、何気なく某テレビ番組にて、東京都内のヘドロだらけの川がわずか半年ほどで著しい変化を示し再生への道を踏み出す、というのをみていたく感動してしまった。この都会の河川再生プロジェクトのキーの一つとなったのが「えひめAI-2」と呼ばれる微生物カクテル。いわゆる有用菌とか、環境浄化微生物と呼ばれる菌類を発行培養したもので、その名の示すとおり愛媛県工業技術センターが開発した環境浄化複合微生物らしい。河川そのものの浄化(ヘドロを取ったり、水草を栽培して其処でも水の浄化に有効な微生物を育むこと)のほかに、その河川に流れ込む生活廃水の質を向上させようということで、周辺地域の方の協力のもと、お風呂やトイレ、キッチンの排水溝にこの「えひめAI」を流すことで経過を観察してみたとのことだったが、生ゴミの匂いなども消えるし排水もきれいになるということ。
この浄化プロジェクト地域と京都市では下水の整備状況に多少の違いはあるが、試したとて害はあるまいと思って、早速インターネットで検索し「えひめAI-2」の培養方法を入手した。まだ気温が低いこともあって菌の培養にはちょっと手間と時間がかかることと(元気な菌を培養するには35度くらいのお湯にカクテルをつけて1週間ほど培養せねばならない。夏場なら日向に放置すればよいとあるが)、「えひめAI-2」を作るのに欠かせない納豆が私はどうも苦手で(家族の中に納豆を食する人間もいなかったし、個人的にもだめなんである、においも味も、手触りも。申し訳ないが)、納豆を触れる人間が4月にならないと京都にこないという個人的事情があるゆえに、まだ実際に培養に着手はしていないがその他の材料をそろえて時機をうかがっているところである。

ところで昨今、私は「エコロジー」と「こころづかい」のあいだで悩ましい思いをすることがままある。
例えば、買い物をしたときに簡易包装にしてもらうとか、その場ですぐに使うものだったらコンビニでレジ袋をもらわないとか、大きな封筒の宛名書き部分を張り替えて二次使用するとか、なるべく再生紙を使用するとか、ゴミの分別をいいかげんにやらないとか、省エネルギーとか、基本的に「エコロジカル」と呼ばれる生活スタイルやルールの推奨には、私は個人的かつ基本的にはなんら反対する理由はない。
しかしこの「基本的」なことが「いかなる場合にも絶対的」なことかというと、私はそうではないと思う。例えば誕生日などのお祝い事で贈り物をする際に包装、熨斗紙やリボンに凝ることは、はたして「無駄」なのか。私はそれが「贈り物本体」ではなく基本的にその場で解体され捨てられるものだとしても、無駄、というようなものではないと思っている。
つまり私が言いたいのは、「エコではなさそうなこと」を全て「無駄」だと判定する自動的な思考、ひいては「エコ」とか「ナチュラル」の名の元に自分の配慮のなさや手抜きを正当化しようとする思考には、私は反対だよ、ということなのである。
さらに(ついでに)言うと、エコロジーとセットのようにして使われる「地球に優しい」などという傲慢なキャッチフレーズが私は大嫌いだ。地球は人間後時に「優しく」などされずとも壊れたりしない。ただ、環境や他の生物と人間との生態系の関係に対して無頓着だと、地球が人間が生存可能なフィールドではなくなるかもしれない、ということだけである。人間が生きていけない環境になっても、それこそ上記のような菌類は生き残るだろうし、そういう意味で地球に生命が絶える可能性は少ない。えらそうなことを言うようで恐縮だが、人間が生きていける地球であるための活動が「エコロジー」という概念の一部であるならば、人間は既存の文化のあり方を単に否定するのではなくもう少し深く理解した上で謙虚になったほうがいいのではないかと思う。

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