えこひいき日記

2006年4月24日のえこひいき日記

2006.04.24

また事務所のベランダで鳩の雛が生まれた。ただ、今回は悲しいお知らせです。そのうちの一羽が死にました。他の鳩につつき殺されたのである。

鳩の世界は、のんびりしているようで実は熾烈である。都市部でも多く目にすることができる鳩の生育環境は、山間部の野鳥に比べて楽なのではないか、あるいは「鳩は平和の象徴」などというシンボライジングを人間の側がしちゃったせいもあって「争わない鳥なのではないか」「同族で殺しあうことなどないのではないか」などの根拠のないイメージ(というか、目にする鳩の数ほどには鳩に関心を持つ機会がないというところか)があったりもするが、ところがどっこいなんである。
都市部の鳥たちには都市部の厳しさ、熾烈さがある。一見、エサも得やすそうだし、天敵もいなさそうだが、他の生物(主に人間かしら。あと犬や猫、カラスなどとも)との人口過密な生育環境、自然界には存在しない高さの建物や構造物、自動車などにどう対応するかなど、けっこう大変そうに思う。以前この「日記」にも書いた覚えがあるが、例えばマンションの7階に作られた巣なんて、高さにしてみたら巨木の枝に巣を作るようなもので、巣立つ雛にとっても育てる親鳥にとっても「らく」とは言い難い環境のように思う。都会育ちの鳩には巣立ちの段階からいきなりバンジージャンプ並みの勇気が必要なわけで、過酷。また、マンションのベランダという空間は鳥にとって完全に安全とは言い難く、現にこのベランダで生まれたヒナが2羽ともカラスにやられてしまったこともあるし、他の鳩との熾烈な安全圏確保争いの対象ともなる。今回死んでしまったヒナが、縄張り争いの犠牲者ともいえる。
産卵したり子育てをしていないときでも、このベランダにはそこを「なわばり」としている鳩が常に出入りしていた。今このベランダをテリトリーにしているのは、ここで生まれた5羽目の雛で、いわば親から「なわばり」を引き継いだ形になっているようだ。私の目には鳩の個体識別は難しいのだが、たまたまこの5羽目の鳩が黒っぽい特徴のある羽の色をしていたことで辛うじて個体識別できている。しかしその連れ合いの鳩はいわゆる「鳩柄」の羽をしているので、正直言って他の鳩との見分けがつきにくい。だが、ベランダを行き交う鳩らの様子を見ていると、黒っぽい鳩とその連れ合いやファミリーと思われる鳩と、それ以外の鳩、というのがいるように思う。「それ以外の鳩」がベランダに侵入すると、テリトリーの鳩がどこからともなく飛んできて、急いで「それ以外の鳩」を追いまわし始めるのである。つまり、「なわばり」はファミリーのたゆまぬ努力によって実力行使でキープされているわけである。
鳩というのは、ヒナを生育する環境を慎重に選ぶらしい。だからテリトリーにできる場所を得ることは鳩にとってはとても重大な事項なのだろう。追い出されても追い出されても入れ替わり立ち代り同じ鳩、ないし別の鳩がテリトリーの侵略を試みるし、テリトリーを守る鳩も飽くなき防衛線を展開する。ヒナが生まれても、それはテリトリー侵略の野望を諦める理由にはならなかったということであろうか。親鳥が一瞬、生まれたばかりのヒナのそばを離れた隙に、他の鳩が寄ってきてヒナをつつき踏んだのだった。親鳩は慌てて戻ってきてよその鳩を追い出し、ヒナたちをお腹の下に隠した。
レッスンの合間にふとベランダを見て観ると、親鳩の下の一羽のヒナの様子がおかしいことに気がついた。「まさか、もしや」と思ったが、どうやらそのときにはもうヒナの命はなかったようである。親鳩はしばらく2羽のヒナをお腹の下に守っていたが、しばらくすると死んだヒナを放り出して見向きもしなくなった。

私はヒナの遺骸をどうしたらいいものか考えあぐねて、その日はとりあえずそのままにして事務所を出たのだが、翌朝やはり放り出されたままの遺骸を見て、埋葬させてもらうことにした。「ごめんよ、ごめんよ、脅かすつもりじゃないから」と言いながらもう一羽のヒナを守る親鳩の側に行き(鳩は恐れて少しだけ横によけたが、目はじーっとこちらを見ていた)、遺骸を拾い上げた。一晩たって冷たくぐったりとはしていたが、ハンカチ越しの感触はまだやわらかく、そのやわらかさがなんとも切ない気がした。「ごめんね」と言いながら小さなヒナを土に埋めた。

生きているヒナたちを守ろうとするが、死んだヒナは見向きもせずに放り出す親鳩の行動を、なぜか簡単に「残酷」とか「薄情」と言い捨てる気にはなれない。だったらどういう感情を抱いているのじゃ、と問われると、なかなか複雑。なんと言ったらよいのだろう。何かを強く感じて入るのだが、なんと表現したらよいのかわからない気分である。

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