えこひいき日記

2006年8月16日のえこひいき日記

2006.08.16

私の束の間のお盆休みも本日にて終了。結局、実家の用事をやっていたら終わってしまった感じではある。

お盆というのは、日本に古くからある風習なので、自分が生まれたときにはもう「お盆」はあった。つまり、「私」という人間は「お盆」という風習が私よりも先に存在する「世界」に生れ落ちたわけである。そういうことから「お盆」には極めて環境的、習慣的に「行事」として触れている(習慣的という意味では「主体的な関わりを感じない」)方もいらっしゃるかもしれないが、私個人にとっては「お盆」は昔から「濃い季節」であった。お盆の季節になると、まるで大混雑のスクランブル交差点で立ち往生しているような気分になったものであった。
その感覚がなくなったわけではないが、近年「濃さ」の意味が変化してきたような気がする。以前は日常生活とは異なる感じを持って「濃い」と感じていたが、最近・・・特に今年は、日常と地続きな意味合いでの「濃さ」を感じた時間であった。どういう書き方をするのが適切か迷うところはあるが、死者と生者の関係も生きている人間と同じ「人間関係」なのだという思いを新たにした、という感じだろうか。そして死者と生者をつなぐ「お盆」という風習は、けして故人と生きている人間だけの関係ではなく、死者を通して生きている人間同志がつながる時間でもあるかもしれない、と思ったのである。

生者と死者の距離が最初から「近い」状態にある人はそんなに多くないかもしれない。生きている側の人間にとって死者が身近になるのは、身近な人間が「死者」になったときからだと思う。私の場合もそうであった。祖父が亡くなった時である。
祖父とはニューヨークに単身引越すまでずっと一緒に暮らしてきたのだが、単に同居していただけの近しさではなく、私は非常に祖父にかわいがられて育てられた。物質的にも精神的にもかなり自由に育ててもらったが、それだけではなく「ものを選ぶことの責任」という厳しさも教えてもらったと思っている。その祖父は、私がニューヨークから帰国した日に亡くなった。私を待ってくれていたような、「タッチ交代」して行った様な亡くなり方だった。
そうして祖父が「あちら」の世界に行ってから、仏壇は「祖父のいる世界」への窓になり、お墓は「祖父のいる世界」への玄関になった。それまでも仏壇やお墓にお参りする際は「ご先祖様」に対峙する気持ちがあったが、失礼ながら「ご先祖様」の大半はお会いしたことも無い方々で、お会いしたことがある方であってもその人となりを知るまでの近しさにはない方が多かったせいか、「ご先祖様」というものの存在がどこかぼんやりしていたような気がする。しかし祖父が「あちら」に行ったことで、私の語彙では「仏壇」や「お墓」は「祖父」と同義語のものとなった。仏壇やお墓に向かうことは、いわば離れて住むようになった人の家を訪ねる(あるいは電話をかける?お手紙を書く?)ような感覚だ。そして「あちら」に行った祖父を通して、祖父の後ろ(なんで「後ろ」かというと、祖父が一番新しい「ご先祖様」だから彼よりキャリアのある「ご先祖様」はその「向こう側」にいらっしゃるという感覚なのである)にもたくさん「ご先祖という家族」がいることが、頭で理解している状態よりも少しリアルに理解できるようになってきた。それは「こちら側」で生きている私にとっては結構心強いことであった。だから「お盆」はいわば「あちら」の方が「こちら」に、「こちら」の人は「あちら」の方にあいにいくという「相互帰省」のようなものではないかと思ったりする。物理的にはともかく、気持ちの上で、主にね。

「こちら側」の世界で、私は今家族の「老い」と向き合っている。最新の「ご先祖」祖父だって老いという生の変化を経て死んだわけだが、祖父の時に「生者にとって「老い」が持つ意味」を真剣に考えるには私は「老い足らなすぎた」ような気がする。「老い」という名の生の様相の変化をリアルに捉える想像力が足りなかったと思う。今は、「老い」を生き抜いて死ぬことの意味を、私は昔より少しまともに考えられるようになったような気がする。
とはいえ、幸いにもというか、私と私の(生きている)家族はまだ「トラブルとしての老い」に直面している状況ではない。しかしトラブルとして顕在化してからでは遅いと思っている。それと意識するほかないほど顕在化してしまってからそれを認識するような「ことなかれ主義」が物事をトラブルにする。それを「トラブル」の側面からしか感知できないような生き方を経て死を迎えることを、家族(に対して)も私(に対して)もしたくないと思ったのであった。なぜかこのお盆にて。
「老い」という言葉を使ってしまうこと自体が芳しからぬイメージを持ってしまいがちなので、何か他に言葉があるならばその言葉を使うべきなのかもしれない。しかしどの言葉を使おうとも、考えるべきこと変らない。本当に観て欲しいのはイメージの下にあるものである。
感情の面から言えば、自分や自分の親の「老い」を認めることはらくなことではない。こころのどこかにみたくない、みとめたくない気持ちがある。でもそれは気持ちの問題であって、事実は違う。それに「老いる」ことはけして不自然(反自然)的な現象ではない。むしろとても自然なことであろうと思う。
そういう意味で言うならば、生きている人間の世界の中で「老い」を考えることは、「変化を認める覚悟を持つ」、ということであろうかと思う。「老い」を生きていくうえでの「トラブル」に変えてしまうのは、「変化することを認めない」という否定的な姿勢で「生の在りよう」を規定しようとする認識であろう。現象そのものではなくて。それはちょうど「よい姿勢を保とう」「悪い姿勢になりたくない」と思うあまりにがちがちになり、とても保ちにくく動きにくい姿勢や動かし方を採用してしまって、かえって生のクオリティを下げてしまう様子に似ているかもしれない。それはもともとの気持ちがけして悪いものではないだけに、なかなか切ないお話である。
「こうであるはず」「どうしてこうでないのだ」というふうに現実と戦わず、あるようにあるものをみてありのままに生きていくことは、時になんて難しいのだろうと思う。生きていられる時間の中で、抗わず、負けず、あきらめない生き方って、どのように、どのくらいできるのかなぁ、と、途方に暮れるような楽しみなような複雑な心境でいる今日この頃である。

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