えこひいき日記
2006年8月27日のえこひいき日記
2006.08.27
先日、我ながら(肉体的に)「疲れているなあ」と感じていたところへ、精神的にもへこんだりくぼんだりする事柄が次々と舞い込んできて、なかなかに参った。肉体的にしんどい時に限って精神的にもダメージになりやすい事柄が重なるというべきなのか、肉体的に弱っているから精神的にもセンシティヴになっているというべきなのか、その違いを定かにすることは難しいが、現実として肉体的なしんどさと精神的な生きにくさはタッグを汲むことが多く、なかなか参ってしまう。床に倒れこんで、もう自分が「ほんとう」と思うことは人には伝わらないのではないかという絶望にさらされながらも、どこかで、大丈夫、寝て起きて食べて、生物として「ふつう」なことをしていたらきっと挽回・回復するチャンスがある、それでもだめなときには死ぬなり何なり好きにしなさい、と言っている自分がいて、そういう自分に元気付けられたりするわけである。
ところで昨今ニュースで騒がれた事柄の一つに「仔猫殺し」のエッセイというのがあった。ホラー作家の某氏が新聞に連載しているエッセイの中で「自分のところの飼い猫3匹が生んだ子供を崖の下に放り投げて殺している」という内容が書かれたエッセイである。某氏が「作家(しかもホラー)」ということを考えると、このエッセイに書かれていることは果たして「ノンフィクション的記述」なのか、それとも「事実に基づく脚色」が濃いものなのか、勘ぐってしまうところもあるのだが、どちらであるにせよ「まるまるフィクション」というわけではなさそうである。
私には、単純にわからない。某氏がなぜ「生まれたばかりの仔猫を放り投げて殺す」などということをするのか、できるのかが。某氏はエッセイの中で「猫に避妊手術をせずにいる理由」についても書いておられる。「さかりのついたときにさかるのは獣の性であり、それを人間の手で取り去るのはエゴである」という意味の事を書いておられたと記憶している。そして仔猫を殺すことについても「その痛みや悲しみも引き受けている」という一文を添えて文を締めくくっておられたと思う。けして仔猫を殺戮することを快楽としているわけではない、ということをおっしゃりたいのかもしれないが、そうであったとしても私にはやはりわからない。去勢や避妊というかたちで猫のさかりを奪い去ることが人間の都合でエゴだというのなら、生まれてきた仔猫を自分の手で殺すことがエゴではないのだろうか。それは「仔猫を殺すことの悲しみや痛みも引き受けている」の一言で対価取引が成立する事柄だろうか。生まれてくる仔猫を自分で育てたり里親を探すことも難しく、しかし避妊や去勢もしたくない、というのなら、「産む生物」であるところの猫と最初から一緒に暮らさなければいいと思う。某氏にとって「さかる」ことは自然だが、「産み、生まれること」は自然ではない(「さかること」ほどは重要ではない?)ということなのだろうか。私にはわからない。
小泉八雲が集めた日本の民話の中に、こういうのがある。『子捨ての話』というものである。
「昔、出雲の国の持田浦という村に、一人の百姓が住んでいました。男はひどく貧しかったので、子どもなぞ持てるものではないと思っていました。
(『妖怪・妖精譚 小泉八雲コレクション』 池田正彦・編訳 ちくま文庫より)
女房に赤ん坊が生まれると、そのたびに川に流し、村人の前では死んで生まれたと言いつくろっていました。赤ん坊は男の子のことでもあり、女の子のこともありましたが、生まれてくればかならず、夜のうちに川に捨てられました。
こうして、六人の子どもが殺されました。
しかし年月がたつにつれて男の暮らし向きも豊かになってきました。田畑を買い、いくらか蓄えもできました。そのころ、女房が七人目の子を産みました。男の子でした。
男は言いました。「ようやくわしらも、子どもの一人くらいは養えるようになった。わしらが年をとった時に、面倒を見てくれる息子がいるでな。この子はずいぶんと器量がええことだから、ひとつ、育ててみることにするか」
子どもは日に日に大きくなっていきました。男は次第にそれまでの自分の料簡がうそのように思えてきました。わが子の可愛さが、日ましにしみじみと感じられるようになってきたのです。
夏のある夜、男はその赤ん坊を抱いて庭に出てみました。子どもは生まれて五月になっていました。
その夜は大きな月が出て、いかにも美しい晩でしたので、男は思わず大きな声でいいました。
「ああ、今夜はめずらしいええ夜だ」
その時、赤ん坊が男をじっと見上げて、まるで大人のような口を利きました。
「お父っつぁん、あんたがしまいにわたしを捨てなすった時も、今夜のように月のきれいな晩だったね」
そう言うと、赤ん坊はごくあたりまえの赤ん坊らしい顔つきにもどって、それきり何も言いませんでした。
百姓は僧になりました。」
たまたま「仔猫殺し」の話でむむむと思っていたときに、なぜか手にとってぱっと開いたところにあったのがこの話であった。この短く、淡々としたお話の中から感じ取れることは様々あろうかと思う。一つ確実にいえるのは、小泉八雲がこのお話を書き留めたのは1894年であるというが、このお話は現代人にとってけしてフィクションの「昔話」ではない、ということである。