えこひいき日記

2007年1月23日のえこひいき日記

2007.01.23

矮小化とわかりやすさについて考える。いや、以前から考え続けているんだけれども、世相的な問題と自分自身の直面している問題の両面から、改めて考えちゃった次第である。

世相的な問題というのは、スーパーから納豆が消えたという現象を引き起こした某番組のデータ捏造問題。私はあの手の番組はほぼ見ないし、しかも納豆を食べる習慣が私の食習慣になかったので、何事が起こっているのかよくわかっていなかったのだが、その後のニュースなどの報道をみていると、起こるべくして起こった事件という気がする。
だいたい「手軽に健康に」とか「楽してダイエット」とか、甘い。本当に大切なのはそういう方法論ではなくて、まず「どうやってここまでその“不健康な”状態が維持できているのか」を知ることであり、正確に知らないと、健康とか体型とか、その人間の恒常性と関わる問題が改善されるとは思いにくいからだ。(これって、私がこういう仕事しているからそう思っちゃうのかなぁ)しかもそれをたかだか1時間の放送で納得のいく説明を経て結論に達しうるということの方がアヤシイ、というか出来たら驚異的だと思う。
好意的に言い換えるならば、「手軽に」「楽に」人間にとって根本的に大切なもの(例えば「健康」)を得るというのは、ありえないことであるからこそ憧れであり、あくなき「夢」なのかもしれない。さらにうがって言い換えるならば、テレビのお仕事の一部はそのありえない「夢」を「エンターテイメント」というカタチにして売ることかもしれない。そうであるならば、この手の番組は「健康」というものをテーマにしたエンターテイメントとして鑑賞すべきものであり、科学的(?)でアカデミックな情報の発表として受け止めることのほうが、鑑賞態度として間違っているのかもしれない。
製作者が行った捏造は勿論言語道断だが、視聴者もまた冷静でいなくてはならないと思う。「手軽さ」に飛びつくその素直な軽率さが、製作者が捏造をしてまで番組を続けようとする行為の下支えをしていることも自覚すべきではないかと思う。

ある研究者がこぼしていた事がある。「食事にしても、何か運動するにしても、それって何に効くんですか、としか聞かない人がいる。何かに効くからそれをする、ということしか行動する意味がないと思っている価値

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