えこひいき日記

2007年7月3日のえこひいき日記

2007.07.03

ATMに並んでいたときのことである。ATM使用中の女性の後ろから年配の女性がすーっと近づいてきた。一瞬のことだったので、誰もはっきりしたりアクションこそしていなかったが、多分ATMに並んでいた人の多くが一瞬ギョッとしたと思う。当然ながらATMを使用中の人も驚いて、後を振り返った。年配の女性はATMの横に設置されている紙用のゴミ箱にゴミを棄てたかったらしいのである。自分が多少ルール違反をしている意識はあるのか、うっすら笑いを浮かべていた。でも驚いた顔で振り返った女性の顔をみると、「なによ、ゴミを棄てだけなのに、睨まなくてもいいじゃないの!まったく・・・」と毒づきながら去っていった。
かわいそうだけれども、こういう人は誰からも好かれないだろうな。と思った。
「ゴミ箱にゴミを棄てる」という行為をとがめる人は誰もいないと思う。でも「どこで」とか、「どういう場合に」という認識が彼女には抜けている。ゴミを棄てるのをどうしてそんなに焦って急いでいたのかは知らないが、「ゴミ」になった紙くずが掌にある、と認識した瞬間、彼女の頭の中は「棄てねば」という意識に支配されてしまったのだろう。それで、どこかで「よくないこと」という認識が皆無ではなかったにもかかわらず、「目に付いたゴミ箱」に突進してしまったのであろう。「まずいことかもしれないけれど、このくらいのこと、許してよね」と、相手の許しを期待するような笑いを浮かべることさえも、彼女にとってはエネルギーを要する作業であったに違いない。だから、こんなにもエネルギーを投じているのにそれが功を奏さず、相手の驚いた顔を「非難して睨んでいる」と認識した瞬間に、エネルギーが逆流してしまったのだろう。
でも、そう推測することは出来ても、やはりこういう人は好きにはなれない。と思った。
例えば彼女が逆の立場だったらどうするのかしら、などとも想像してみた。彼女がATMを使っているときに、別の誰かが背後からやって来てゴミを棄てようとする。その時彼女はどうしたり、言ったりするのだろう。「あら、ゴミをお捨てになるのね。どうぞどうぞ」と言葉や表情で言うだろうか。それは上手く想像が出来なかった。やはりさっきと同じテンションで「もう、人がATM使っているのに、びっくりするやないの、もう、まったく・・・」とか言いそうな気がしてしまった。
そういうことを、ATMからその女性が去って、自分の番が来るまでの1分くらいの間に思ってしまった。

他者と自分の関わりで、自分の振る舞いよりも、自分が感じた被害的な認識にだけ敏感に反応する人がいる。残念だけれども、どういう人間は結構いる。本人は自覚していないかもしれないが、常に「自分には自分の思うことを行う権利があり、他者にはそれに協力する義務がある」と言わんばかりの態度をとっていることが多い。でも自分も他者にとっては「他者」である(つまり、もしも自分以外の人も自分と同じ考え方だったら、自分にも相手に協力する「義務」があるんだ、という認識)はない。だから権利関係の利害調整以外の意味で他者に「ありがとう」なんて言わないし、言ったとしても「言ってあげたのに」みたいな「権利の主張」になってしまい、それ以外の人間関係が築けず、孤独である事が多い。だから余計人に対する希求の思い(全面的に自分を認めてもらいたい、受け入れてもらいたい)が強いのだが、でも基盤になっている人間関係が「give&take(でも本当はtake多めを期待。自分が損することを何より警戒するし、自分が投じたものの回収、過去の損失の回復に執着する)」なので、その方式で人に対する限り、飢えと不満感はつのる結果になる。
思い出せる限りでも、クライアント関係でも何人かそういう人がいたなあ。
メールで予約のやり取りをする中で「あ、このひとはだめだ」と思った人は早々に断るが、多くの場合、私から断らなくても、相手の方が棄て台詞を吐いて去っていく事が多い。時にその棄て台詞たるや、自分では思いつけないようなすごい文言が多いので、そういうメールや文章は全部保存している。職業的な意識で考えるならば、どういう人がどういうことを言うのかは、その人を好きか嫌いか、その態度が快か不快かによらず、ある意味興味深い。

ところで、彼女の言う「このくらいのこと」って、彼女にとってどのくらいのことなのだろう。
本当に「このくらいのこと」という「こと」って、この世に存在するのだろうか。「このくらい」かどのくらいかはしらないが、あるのは「こと」だけだと思う。それが「このくらい」であろうがなかろうが、なかったことにはならない。
でも「このくらいのこと」というやつは「この世になかったこと」のように認識されているように思う。でも、それは「そんなことは起こらなかった」という認識ではない。「ある」のに「なかった」ことにされている、という「こと」なのである。ややこしい。
自分の仕事を振り返っても、だからクセってなおしにくい、と思う。本人にとっては「このくらいのこと」だと思われている事が多いからだ。でも違うんだよねー。結構重大なんだよねー。
でも、それに目を向けるも、向けないも、結局はその人の人生の選択なんだと思う。「人生の選択」と、言葉で書くと「おおごとそう」に思えることは、実は日常の「なんでもなさそうなこと」の中でしか行われていないのだ。
がんばって生きないとね。

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