えこひいき日記

2007年9月5日のえこひいき日記

2007.09.05

一週間前くらいから右の肋骨近辺が痛い。2日ほど前から痛み止めがないと辛くなってきたので、医師に相談してみた。
行ったのは内科。なぜまず内科に行ったかには理由がある。何らかの異常が確認された場合、内科的な原因である方がより厄介だからだ。しかしながら自分の痛みが内科的な原因であるかどうかについては、かなり疑問を持っていた。だって、痛いだけで他の症状がないのである。例えば、腎臓や肝臓、あるいは消化器系の異常である場合には発熱やだるさ、空腹時や満腹時の異常感などあるのが一般的。でも私の場合、一瞬うめくほどの痛さが断続的に訪れるだけでそれ以外の異常がないのである。循環器系の異常にしては位置がおかしい。かといって外科的な何かかというと、これもよくわからない。特にこけたとか打ったという覚えもないし、痛みが発生するタイミングも動作とは関係なさそうだからだ。例えば外科的な損傷である場合、身体をひねるとか、深呼吸をするとか、特定の動きに伴って痛みが発生する事が多い。しかし現在の場合、ひねろうが伸ばそうがその動作のタイミングで痛みが発生するわけではなく、動けてしまう。ジャンプしても響くわけではない。でも、じっとしているときにでも突然息が止まるほど痛くなるのである。
わからないから医師の元に相談しに行ったのだが、いろいろ診ていただいた上で、やはり「わからない」と言われた。私が痛みを覚えている部位に発生しうる様々な疾患を、かなり珍しい病名まで挙げて教えてくれたが、「それにしてはここがおかしい」ということばかりなのである。「消去法で(つまり「しらみつぶし」に)検査してみますか」とも言われたが、そういう情熱を傾ける気分には、にわかにはなれない私。「市販の痛み止めが効くようでしたら、外科的な何かである可能性が高いんですけれどね。内臓からの痛みに痛み止めはなかなか効きませんから」と医師。「そうですよね。モルヒネ級のお薬でないと無理ですよねぇ」と私。「でも、外科的なものにしても、よくわかりませんね。腹筋を使っても痛くないんですよねぇ」と医師。「はい。痛くないです」と私。「うーん」「うーん」と医師と私、ユニゾン。
「少し様子を見てみます。お騒がせしました」と言っておいとましてきたのだが、「わからない」ということがわかって微妙にすっきりもした。何があってもこれが私の身体。いろんな方のお力を借りて支えていただいているわが身だが、大事なのは私が「それ」と向かい合うことだから。それこそ、病める時も、健やかなる時も、へだてなく。

うめくような痛みも3日目に入ればそれなりに調子も取れてくる。幸い今のところ痛みは横ばい状態で、クレッシェンドすることはないので、やせ我慢することなく用法容量を守って痛み止めを使用しながら様子を見ている。痛みが去ってくれるか、それとも今よりも適切な対処法方が判明するか、それまでの時間稼ぎといえば時間稼ぎである。痛み止めの使用はけして解決策ではないし、長引くことも歓迎しないが、かといって痛みとらわれ、痛みとにらめっこをして日々を過ごす気はさらさらない。
でも痛いのはやだねー。単純に、痛いし。それに痛みの不快感と、その原因や対処法方が特定できない状況というのは「不安」を引き寄せやすいと、改めて思う。日々クライアントさんとお話していてもそう思うが、「今手の中にあること」よりも「今手の中にないもの」の方に目を奪われることが不安を増大させる。出来ることも出来なくさせる。本当は、「ない」ことや「わからない」ことが即ち不安なのではない。「ない」ものしかみないから不安になるのだ。痛みと不安は本来別物なのにね。
自分が今痛いから余計そう思うのかな。でも、痛いのは好きじゃなーい。

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