えこひいき日記

2008年1月20日のえこひいき日記

2008.01.20

事務所に書斎を作ったのだが、居心地が良くて仕方がない。いいのかわるいのか。可能であれば、ずーっとその中でつれずれなるまま本を読み散らかして暮らしたい。そんなふうに思ってしまう。しかしながら仕事が・・・あるいは、帰らないと猫が飢える・・・とか、諸事象あるのが私の現実。
そういえば、私は本を読むことで遊んできた。小さいころ、母に連れられてデパートなどに行っても退屈してぐずぐずしてしまう私は、よく本屋に置いていかれた。置いていかれた、なんて書くとひどいことのようだが、母の買い物に付き合うよりそっちのほうが楽しかったので、私がそれを望んだのだ。小学校にあがるころにはそうだった記憶があるので、読める字も読めない字も私には楽しかったような気がする。ということは、厳密には「読書」ではなかったのかもしれないが、とにかく本に触れていることが楽しかった。時には母が用事を終えて迎えに来ても、本屋から出たくなくて、「もっと買い物してくればいいのに」などと思っていた。外食に行っても、食事が運ばれてくるぎりぎりまで本を離さず、よくしかられたものだった。
小学校に通うようになっても、私が一番好きだったことは、家の応接間で美術全集と百科事典を読んで遊ぶことだった。当時私の家には、世界の美術館の図版と、全何巻にわたる平凡社の百科事典があった。多分、父の蔵書だったと思うのだが、どうして父はあんな本を持っていたのだろう。百科事典はともかくとして、父が積極的な美術愛好家だったとも思えないのだが、ともあれ、その本のおかげで私はずいぶん楽しかった。
そうした幼児体験(?)のせいか、かねがね「美術館と図書館が混じったようなところに住みたい」と思うようになった。多分私は一生そこにこもりっきりでも退屈せずに暮らせる。だから直島のコンテンポラリー・アート・ミュージアムに宿泊したときはわくわくした。美術館に泊まる。幼年からの私の夢だった。
わが書斎はもちろんそれには及ばない、つつましい空間である。でも、いろんな本に囲まれているとただ楽しい。私は本当に遊んでここまで生きてきてしまった。

調子にのって、いろいろ本も購入してしまった。青池保子の『アルカサル 王城』が完結していることを知らず、8巻以降を一気買いしたりね。もっと前だったけど、山岸涼子『テレプシコーラ 舞姫』も10巻一気買いの一気読みだった。この本には実にいろんなことが書いてあるから、興味ある方はぜひ読むべし。踊る、ということがお姫様チックな夢の話でも、はたまたスポ根漫画的ながんばりで達成されることでもなく、大人の事情やら、子供の事情やら、商品価値やら、優劣の意識やら、時代やら、いろいろなものの中で真剣に「生きていく」ことに他ならないこととが、ここにはしっかり描かれている。志の島忠・浪川寛治の『料理覚え書き』もすばらしい本である。お料理の本というと、レシピと写真に彩られたHow to本しかしらない方、あるいはそうした本に食傷気味の方はぜひ読むべし。いわゆる「ハウ・ツー本」が「それ」しか書いておらず「それ以外」への扉を閉じた本だということが、このレシピなき料理本を見るとよくわかると思う。この本は料理の本でありながら、多くの別の世界へも通じる扉を有した素敵な本である。だから別に料理のことに特に興味のない方にもお勧めです。
カート・ヴォネガットの『国のない男』は「やばい」と思った。最初のページを開けたときにもう引き込まれそうになり、なぜかちょっと泣きそうになった。やばい。この本はクライアントの合間にふむふむと読める本じゃない。きっと大好きになってのめりこむから、仕事の合間になんか読むと仕事に帰りたくなくなる。うぅぅ、くるしい。早く仕事終わんないかな。できたら猫の心配もしないでいいとよいのに。

私は仕事とプライベートの切り替えが比較的よいほうだと思う。職業的に訓練されているせいもあるが、おそらく性格なのだろう。
父が酔うと時々持ち出す私の幼少期の逸話で、「池に落ちたときの話」というのがある。確か幼稚園児のころ、私は足を滑らせて池に落ちてしまったことがあった。その池は浅い池だったのだが、池の底が藻でぬるぬるしていて、私はうまく立つことができず、池に沈みそうになった。溺れそうになりながらも何とか池のふちまでたどり着き、そこで助けを呼んだ。声を聞きつけた父があわてて飛んできてくれて、池から私を引っ張りあげてくれた。父は「どうしてすぐに助けを呼ばないんだ!」と大きな声で言った。それに対して私は「水の中で口を開けると、口の中に水が入るから」と答えた、という話である。
私自身には「池に落ちた記憶」「父が助けてくれた」「父が言った言葉」の記憶はあるんだが、自分がなんと答えたかはよく覚えていない。だが、父いわく、私はそのように答え、父は絶句したそうである。父が絶句し、今もって時々その話を持ち出す理由を、冷静に理解できるようになったのはわりと最近になってからかもしれない。それまでは、わかるような気もする一方で、「どうしてこんなことを覚えていて、いつまでも驚くんだろう」と思っていた。落水した驚きで暴れたり騒いだりしたら、溺れてしまうに決まっている。暴れたり騒いだり「しなかった」ことに対してどうしてそんなに驚かれるのか、わかるようでわからなかった。
今なら、少しだけわかる。一般的に予想される反応や行動は私がとった行動とは異なるのだ、と。人は、インパクトに反応してしまうことが多い。例えば、驚いてしまうと、その驚きを呼び起こした何かに対してではなく、驚いたこと自体にまず反応してしまいやすい、ということだ。池に落ちて「暴れる」とか「泣き喚く」というのは「池に落ちた」ことに対する反応ではなく、「池に落ちて驚いた」ことに対する反応だと思う。「落ちた」ことではなく「驚いた」ことの表現が「暴れる」や「泣き喚く」である、と言ってもいい。でも、池に落ちて助かりたいなら、怖かろうがなんだろうが、すべき行動はただひとつ。池から上がることである。それは別に「驚くな」とか「恐怖するな」といっているのではない。恐怖も驚きも、自然な感情である。ただ、そうしたインパクトの大きいもの(感情)が重大なこととは限らないし、それにすべての主導権を握らせる必要性はない。どんなに怖くても、不安でも、生きていきたいのなら、「自分」を忘れないこと。
「池に落ちて助かりたいなら、池から上がることを考えたほうがいい」と言ったなら、多くの人が「あたりまえじゃん」と言いそうな気がする。でも、その「あたりまえじゃん」なことがなぜかスムーズになされないのが現実。自分だって、できないこときもある。なぜ「あたりまえ」のことがされにくいのか。私はずっとずっとそのことを考えてきたような気がする。4歳のころから、ずっと。でも、ぜんぜん、終わりがないの。

私は、感情としてどう思っているかということと、そのとき現実に何ができるか、すべきか、ということを、分けて、しかし同時に考えているような気がする。いつも。職業的には本当にそうで、それができないとたぶんクライアントさんにはお会いできないと思う。クライアントさんがみんな私の大好きな人たちで、私の言うことや教えることをよくよく理解してくれて、私は仕事をしたくてしょうがなく、彼らも大喜び、というのだったらウルトラ・ハッピーだが、そういうことばかりとは限らない。現実的に優先されるのは多くの場合、「すべき」ことで「できる」ことである。私がどのような感情を持っていようとも、そこはあまり重要ではない。(でもストーカー的な行動をとる人や、依存的になる人は、このあたりのことへの理解が極度にないことが多い。「専門家があなたに対して真摯で誠実なのは、その必要があると認識しているからで、あなたを無条件に許容しているわけでも個人的な感情で受け入れているわけでもない」ということが理解しにくいらしい。)
でも「すべき」で「できる」けれど「したくない」ことだってある。一瞬、仕事なんか振り捨てて、ヴォネガットの本に没頭したい、と思うように。一瞬、大好きな猫のことも忘れたい、と思うように。でもそれは、自分がそうしないことを知った上で見る白昼夢のようなものだということも、私はどこかで知っているような気がする。「したくない」といっても、それは永久的な問題ではなく、程度の問題なのだ。したくないなんて思ってはいけない、と思うのではなく、そう思うことを許すだけで満足するような「したくなさ」なのだ。魂の自由。それは表面的にはわからないことかもしれない。見た目は、私はいつもと変わらず冷静に仕事をしているように見えるのかもしれない。何を思っているかなんて、他人から見えても見えなくても、この場合はどっちでもいい。私が思うことにおいて自由でありさえすれば、いろいろあるけど、けっこう生きていける。
「すべき」だけど「でき」なくて「したくない」ならプライド面で悔しいだけでそれほど不幸でもないが、「すべき」ではないが「したい」こととか、「すべき」で「したい」のに「できない」のはなかなかつらい。結局「自分は何がしたいのか」というのは、重大。気持ちを偽らず、行いを偽らず、生きてみたいと思うんだけど、やっぱり難しいことなのかしら。それって。

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