えこひいき日記

2008年1月29日のえこひいき日記

2008.01.29

髪を切ったという話は先日この「日記」にも書いた。それを見た方の反応は実にさまざま。絶句して「別人かと思った」という人もいれば、気にはなるようだが何もおっしゃらない方もいる。「変わらない」という人もいる。でも、最も多い反応は「やっぱり印象変わりますね」というのと「少年のよう」であった。私の場合、髪を切ると子供っぽくなるか、おばさんっぽくなるかどちらかだと思っていたが、「少年」って・・・。
「変わった」という人がいる一方で「あれ、前の髪型、どんなでしたっけ?」なんていう人もいた。以前から来てくださっているクライアントさんの中には、初対面のときの私がショート・ヘアだった方もいるので「違和感ない」という方もいた。
家族にはショートのほうがすこぶる受けがよいようだ。先日、正月以来の親族での会食があったのだが、満場一致で「そっちのほうがいい」と言われた。御歳90を越えたわが祖母にいたっては「前のはあかん」と一刀両断。「あかん」って・・・。
祖母は何だか最近白洲正子化しているようだ。健啖家で、若干しゃべるのがしんどい分、一言が鋭くなった。思い返せば昨年の今頃はまだ大腿骨骨折で入院していたのだが、今では杖を片手に結構な速さで歩く。恐るべきものがある。
それにしても、人は何を見て、それを何だと思っているんだろう。同じものを見て、似た答えになることはあっても、「同じものを見ている」のと同じ意味で「同じ答え」になることはない。「別人みたいであって、でも変わりなくて、変わっていて、少年みたいなの、なーんだ?」となぞなぞを出しても、答えられる人がいるとは思えない。人食喰いスフィンクスより意地悪な問いかけ。問うのは私。答えも私。でも一番答えの意味がわからないでいるのも私なのかもしれない。

先日、「心配する」ということが何をすることなのかがわからなくなった。「心配する」「心配ない」「心配しない」。よく使う言葉だ。でもそれって、どうすることなんだろう。どういう状況に使うべき言葉なんだろう。
具体的に私がしていたことといえば、泣く、ということだけだった。ある知らせを聞いて、私は泣いてしまい、その後も泣き続けた。泣こうと思って泣いていたわけではない。思いがそのことに向くとただ泣いてしまうのである。でも、ふと「泣き続ける」ことが本当に相手を「心配する」ということなのかどうか、わからなくなってしまったのだ。だいたい、私は自分がしていたことを「心配」だと認識していただろうか。していなかったような気がする。私がしていたことは何だったのだろう?
泣き続ける私に対して、相手が「心配しないでください」と言った。「私はそんなにやわじゃないし」と。言われて、「あれ?」と思った。そうなんだよね、私はその人をやわだと思っているから泣いているわけではない。その人がこの困難を乗り越えられない、と思っているから泣いているわけでもない。その人は強くて意思のある人だから、この先の道が険しいものであっても、苦難があっても、きっと乗り越えるだろう。それを「自分の道」にしていける人だと思う。相手がたいへんな状況にあり、それに対して自分が何もできないときに限って、ついついへんなことを言ってしまったりして自分の至らなさに落ち込むことは少なくないが、そんな私の言葉足らずな慰めや、頓珍漢な激励に惑わされる人でもない。そう思っているのに、私はなぜ泣くのだろう。何に対して泣いているのだろう。わからなくなってしまった。
わからなくなったら涙が止まるかというとそうでもなくて、夜寝る前などにはまだぼろぼろ泣いてしまう。どんな感情がそこにあるかと自分で自分の気持ちを覗き込むが、よくわからない。なんだかいろんな気持ちの粒が顆粒状になって水の中を漂って、溶けきらない状態で渦を巻いているような感じだ。もしもこれを「心配」というのなら、それは相手に「対する」気持ちなどではなく、今の自分の心的状況に過ぎない。相手に向かう水の流れなどではなく、ここで渦を巻くものに過ぎない。
たぶん、私のしていたことは、「心配」ではなく「かなしむ」だったのだと思う。今気がついたけれど。その気持ちを抱いてしまったことは仕方がないこと、とめようとも思わないことだけれども、でもそれだけではいけないんだろう、とも思った。少なくともこれでは誰の「ため」にもなれない。
今の私は、相手に対して、そこにある問題に対して、何もできない。ぞっとするくらい無力だ。でも、できないのなら、できないなりにすることがあるような気がした。今しばらくは泣いてしまうのは仕方がないとしても、泣きながらでも私は私のことをしなければ、と思った。あれ以来、私は泣くことしかできませんでした、じゃ、相手に対して申し訳ないような気もするし。

もしも、あなたのことを心配している、と、本当にいえることがあったとすれば、それは何をしているときなのだろう。私がなにをすることなのだろう。いつか本当に誰かのためになれる心配の仕方を、私はすることができるんだろうか。

しかも、「ご心配なく」と言われたってことは、私のほうは相手に心配をかけてしまったということなんだよね。ぐぁぁぁん。

こんなこともわからないで、私は生きている。

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