えこひいき日記

2009年9月2日のえこひいき日記

2009.09.02

「ビオトープ」という言葉を思い出そうとして、なぜか「バイオハザート」という言葉が横切ってしまった私。うーん、病んでる。

ともあれ、最近、自宅に届いた睡蓮鉢を覗き込んではちょっと和む日々である。
鉢の大きさは直径50センチほど。結構大きめ。その睡蓮鉢の中にはメダカたちと、タニシたちと、水草と、姫睡蓮が入っている。完全なるビオトープではないのだが(メダカ用の餌を2日に一度与えているからね)、彼らの共存っぷりはビオトープっぽい。人間が与える餌とともにメダカは睡蓮や水草につきそうな虫やコケをパトロールし、メダカたちの食べ残しや水草の一部をタニシが食べ、水草たちは酸素を供給、という感じになっている。このところ秋めいてきた透明な光を受けて、ゆらゆら揺らぐ水の表情や水草や魚たちの様子を見ていると、和む。やはり水と緑のなる風景はいいなあ。

最初、睡蓮とメダカたちは発泡スチロールの箱の中に居た。実に情緒に欠ける風情ではあるのだが、実はメダカを養うのに発泡スチロールの箱は優れものなのだ。保温・断熱性に優れ、水温を一定に保ちやすいからだ。夏場のベランダに出した植木鉢の暑さは結構なものになっていることがあるだろう。あの中にメダカが泳いでいると思えば、それがどんなに苛酷な環境になりうるか想像に難くないと思う。もちろん、それが睡蓮鉢であれば、睡蓮自体も弱る。大きな池や川という環境であれば、水の量や流れによって水温も保たれるのだろうが、ちんまりしたベランダではそうはいかない。なので、発泡スチロール登場なのである。買ってきた小さな姫睡蓮を発泡スチロールの箱に土を入れたところに植え替え、水を張る。睡蓮の苗には小さな水草やタニシもついてきていたので、それもそっくり箱にお引越し。水の濁りが納まるまで、メダカはビニール袋に入れたままその箱の中に浮かべてスタンバイ。水温になじませるためである。水が落ち着いたところでメダカを放す。買ってきたメダカは5匹だった。
残念なことに、それから数日の間にメダカ2匹が死んだ。でも3匹のメダカは元気でいてくれた。そして気がつくと、発泡スチロールの水の中を小さな小さなメダカの稚魚たちが泳ぎまわっていたのである。その稚魚の数はどんどん増え、水草もどんどん育ってもう底が見えないほどに茂ってしまった。繁栄はめでたいが、このままでは繁栄が窒息を招きそう。そこで、この発泡スチロールごと入れられる睡蓮鉢を買い求めることにしたのだ。

今まで「ここが世界の境界線」だった発泡スチロールがすっぽり納まるほどの睡蓮鉢に引越しして、メダカたちやタニシの動きはうんと活発になった。今、メダカが何匹になっているのか私も把握していないのだが、皆育つと相当の大所帯になりそうだ。

それにしても、水や木々、魚や鳥の様子を見ていて心が和むのはなぜだろう、と思う。そこに何をみているのだろう。「和む」んだけど、ただ自分を慰めているだけではなくて、うまくいえないのだが「これでいいのだ」みたいなことを思ったりする。そういう意味では、元気をもらったり、学んだり、激励されているような気もする。何が「これ」で、何が「いい」のかうまく言えないのだが。

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