えこひいき日記

2010年9月24日のえこひいき日記

2010.09.24

昨日は秋分の日で、満月だった。あれほど暑かった日々が幻だったかのように一転し、涼しい。まるで冷房の効きすぎた部屋のようだ。うっかり間違って「違う部屋」に入ってしまったような気分。季節がきっぱりと変わったのだ。
そんな日に、私は愛猫の骨壷を抱えて交差点に立っていた。火葬場からの帰りだった。交差点に立っていたときに、不意に今日がとても涼しいことに気がついた。肌寒いほど涼しいことに。それが人為的な涼しさではなく、季節・・・と普段呼んでいる自然現象であることに。妙なものである。それは午後のことだった。午前中からずっと今日は涼しかったと思うのだが、私はそれが季節によってもたらされたものであることを感じられていなかった。

猫は、満月の前日、十五夜の日の朝に逝った。洗面所に行って、帰ってきて猫の顔を見たらもう息をしていなかった。
猫はその数日前から全く自力ではご飯を食べられなくなっていた。腫瘍に圧迫された左目は既に見えなくなっており、声帯も圧迫されて段々声が出なくなってきていた。仕方なく、ムース状のご飯にさらにスープを加えてミキサーでつぶしたものをシリンジに詰め、朝晩食べて(飲んで)もらっていた。猫は嫌がっていたが、それでも何か胃に入れた後は元気になるのか、とことこと部屋の中を歩き回るのだ。住み慣れた部屋の、何処にそんなに調べるべきものがあるのか、全くわからない。でも猫は熱心に、新しそうに、何度も何度も部屋の中を歩き回っていた。

逝く前日の朝、いつものように猫のからだを拭き、シリンジでご飯を食べさせようとしたとき、猫は強く私の手を押し返した。それは、物理的な強さでいえば、いつもとさして変わらない力加減だったのかもしれない。でも、私はいつもと違う「意志」をはっきり感じた。誤解を恐れずに感じたままをいうと、私が感じ取った「意志」はこういうものだった。「ジャマヲスルナ」
「モウ、イラナイ」でもなく「コンナコト、イヤダ」でもなく、猫は「ジャマヲスルナ」と言った。「アチラニ イク ジュンビヲシテイルカラ、ジャマヲスルナ」と。
私は自分が感じたことをすごく否定したかった。誰かに「いやいや、そんなことはありません。それはあなたの怠慢です。無理にでもご飯を食べさせれば暫時とはいえ元気になるんですよ。さあ、猫の手足を押さえつけて、飲ませなさい!」と誰かに言ってもらう「暴力」を求めた。でも、誰もそんなことは言ってくれない。本当は、私のココロのどの部分にも、否定を肯定して手を上げる自分はいなかった。私は泣きながらシリンジを置いた。
仕事をしている間猫の様子を見てくれている人にも、そのことを話した。その人は黙って私のいうことを聞き、うなずいた。
その後、猫は水すら飲もうとせず、ただ涼しいところで眠り続けていたという。昼間に留守居の人が猫の様子を見に行ったときに、一瞬息をしていないのではという瞬間があったという。「もうちょっとがんばって。もう少ししたら、帰ってくるから」と声をかけると、息をしたという。それがなんだったのかわからない。でも、そういうことを経て、その日の夜にはもう、猫は立てなくなっていた。

夜中になって、猫は這って、あるいは地面をこぐようにして、私のところまでやってきた。そして私の足を枕にして、少し眠った。多分、そんなに長い時間ではなかったと思う。30分かそこらだったのではないかと思う。何をするでもない。ただ猫は私の左足の甲を枕にして横たわり、私は猫のがりがりの背中を撫でていた。私は何か声をかけたかもしれないが、何を言ったかは覚えていない。多分、言葉にしなければ伝わらなかったものではなかったと思う。短い時間だったけれど、今思い出してとても温かく思うのはそんな時間のことだ。確かその2日ほど前にも、早朝ベランダに出た猫を追って私もベランダに出たら、猫はぺたんとその場に寝転んだことがあった。私もその場にしゃがみこんで、しばらくそのままでいた。何もしゃべらず、ただ猫の背中を撫でていたような気がする。きざな言い方になってしまうが、ふたりで風を見ていたような気がする。今思い出すと、そんな時間がとても幸せだったのだ。

朝までに猫は私のベッドの下まで這ってきた。そこは猫のお気に入りの寝床の一つだった。からだは既に冷たくなりかけていた。それでも息をしていてくれることが、私にはありがたかった。猫の顔を拭き、出たままになっている舌を水で湿らせ、タオルの上に猫を乗せて、膝に乗せた。猫のからだに力はなく、とても不思議な抵抗のなさで私の両膝の形に添った。私はしばらく猫のからだを撫でていた。反応は弱かったが、それでも猫は気持ちよさそうに目を細めてくれた。猫をタオルごと膝からおろして、私は朝の支度をし始めた。猫の呼吸音は聞こえていた。でも、洗面所から戻ると猫は息をしていなかった。

猫が逝った日も私は7時間ノンストップでクライアントを診ていた。確か、前の猫が死んだときも、私は講座を教えていた。人によってはそういうことが出来る私はひどく冷たい人間に見えるのだろう。そうなのかもしれない。でも、私にとってはどちらもリアルだがチャンネルが違う出来事なのだ。

しかしチャンネルを変えなければ生きていけない、と思うこともある。猫の「ジャマヲスルナ」を聞いた後、私が最初に行動したことは部屋の模様替えだった。もう猫は自分で立ってトイレに行けないだろうから(しかし猫はペットシーツの上で寝たまま用を足すことなどをひどく嫌うので)、猫のトイレを寝床のそばに移したほうがよいか、というのが一つだったのだが、それは建前だったような気がする。猫がいなくなったときに、以前と同じ部屋に帰宅する自分を想像すると気が狂いそうだった。引っ越したい、家具を全部取り替えたい・・・衝動的にはそんな感じだ。でもそれは現実的じゃない。だから、私は意図的に自分の生活動線を変えることにした。例えば、帰宅していつも鍵やカバンを置く場所を別の場所に変えた。無意識に、いつもどおりの動きをしては成り立たない世界を意識的に作り上げた。無意識に、猫がいたときの動作をいなくなった後までやってしまう自分を想像すると怖かった。きっと私はいつまでも引きずってしまう。16,17年に及ぶ猫との日々は伊達じゃない。積極的に引きずりたいわけじゃなくても、これまでと同じ動作が「これまで」を引きずらせる。本当に相手を「想う」こととは似て非なるものとして。私はそれをすごく耐え難いと思った。
幸か不幸か、模様替えは現実に私を支えてくれている。まだ、ちょっとしたことで涙がぼろぼろ流れてしまう中で、こうして普通(?)にしていられるのは私なりにお別れを受け入れる意志を行為に翻訳したからだと思う。猫がお別れを告げてきたときに、私は猫トイレの位置を変え、部屋に入ってまず目に付く棚の位置を変え、そこに置くものの構成を変えた。限られたスペースと家具たちなので全てを変えることは無理である。それでも随分部屋の印象が変わった。猫はその様子をお気に入りの場所からずっと見ていた。私なりの「返答」を、猫は見ていた。

夜になると、家族や友人たちが弔問に来てくれた。猫の周りには蝋燭がともされ、きれいな花が置かれた。皆泣いてくれた。泣いて、悲しかったけれど、温かかった。嬉しかった。猫にも人にも、感謝しかなかった。人間の感情って、むちゃくちゃだなあ、と思う。自分の感じていることを感情の名前だけで言おうとするとこんな有様になる。

猫が骨になって帰ってきた日は、満月だった。空には雲が多く、月はダイレクトには見えない空模様だったけれど、月の光はとても強くて雲に隠れてすら輝くように明るかった。そして空にはいくつも層の風の流れがあり、雲は多様な動きを見せながら月を見え隠れさせていた。
猫と風を見ていたベランダから、私は夜中月を眺めてみた。雲の動きは面白く、月の光は美しくて、長く見ていても飽きない。唐突だが、猫はきっととてもいいところへ行ったのだ、と思った。いつだかベランダを散歩していたような足取りで、軽々と、決然と。私が猫を心配してあげなきゃいけないことは何もない。それでも涙が流れるのは、自分でもなんなのかわからない。適当な感情の名前が思い当たらない。たぶん、しばらくはなんでもないことで泣くだろう。でも、しばらくしたら歩き出そうと思う。猫ほど軽やかに、決然と歩めるかはわからないが、努力しようと思う。それがまだまだ続く私の「返答」になるかな、などとうっすら思う。

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