えこひいき日記

2011年4月9日のえこひいき日記

2011.04.09

私の所のレッスンには実にいろいろな人が来てくださる。その中にはアーティストさんも多い。そういう定義で「アーティスト」と呼ぶかは迷うところではあるが、私の念頭にあるのは演劇や音楽、ダンスをされている方。絵を描いていたり陶芸をされていたり、小説を書いている方もいる。お茶やお花の先生もそう呼んでよいかな、と思っている。

今回の震災で、いくつかの舞台やコンテスト、コンクールが中止になった。その一方でこの状況の中、決行された舞台もある。どちらの場にいた人たちも、何の迷いもなく、感情の揺れもなくその行為に至ったわけではない。ものすごくものすごく考えて、いつも以上に自分たちのしていることの意味を考えて、諸々の状況を視野に入れて、話し合いもして、そうするに至った。そうした後も、その行為の意味を考え続けてもいる。後悔しているわけではない。間違っている、と思っているのとも違う。でも、想いをはせてしまう。
何に?たぶん、生きていくということについて。自分が生きているということについて。生きて、できることについて。

ある全国大会の決勝に出場できなくなった子供たちは、被災した人たちの手間よりも、まず自分たちのことがショックで泣いたという。でも泣いた後に「どうして自分たちが泣くようなこと(コンテストの中止)が起こったのか」が目に入ってきて、また泣いて、でもその次に考えたのは自分たちが「それをする意味」だったという。踊る意味、音楽をする意味、絵を描く意味。どうして他にもいろいろなことがある中で、自分はこれを選び、好きで、がんばるのか。今自分に出来ることは何か。
震災の翌日に本番を迎えたダンサーたちは、その前夜ものすごく悩んだと、後日伝えてくれた。彼らの公演場所は関西。設備の面や経済面を考えるなら上演を迷う理由はない。でも人が、ダンサーが踊るのは、単にそこに踊れる場所があるからだけではない。今、自分たちが伝えたいと思って創ってきた「それ」を踊りで伝えるべきなのか、伝えてよいのか、そのことで自分たちの気持ちがどう動くのか、観客に不快な思いや辛い思いをさせることはないのか、考えて考えて考えて、舞台に立つことを決めた、と。
脚本を執筆中だったある作家は、震災を期に思わず筆が止まってしまったと言った。話の続きを考えようとしても、固まったように何も出てこない。何を考えてよいのか、何かを考えてよいのかも分からない。いっそ今までの構想を捨てて、震災のことを悼む作品を書くべきなのだろうか、とも思ったという。でも、それも何か違う、それは本当に何かを作ることでも悼むことでもないのではないか、と感じて、また考えることを始めた、と話してくれた。

そうしたことに批判を寄せる人たちも居るだろう。現に「そんなことをしている場合か」「気楽なものですね」などと言われた(書かれた、といったほうが正確か。掲示板とかでね)こともあった。

批判した人も、批判された人も、探しているのだ。自分に出来る最善を。みんな、「いいこと」をしたい。「いいこと」をしようとして悩み、焦り、時に争ってしまったりする。

いつも思うのだが、「いいこと」をすることは本質的に孤独な作業だ。満場一致で他者が「よさ」を保障してくれる「いいこと」なんて、ない。誰かが見ているからとか、見ていないとか、褒めてくれるからとか、通常だからとか、非常だからとか、関係ない。
常に問い正さなくてはならないのは「それが自分にとって必要か」ということだ。それをする自分を許せるか。それをしない自分を許せるか。そうすることを「いい」とうなずく自分が自分の中にいるかどうか。

誰かと「同じ」ことをしているほうが「無難」と考える向きもある。多数決すれば多いほうには入れるし、人を排除せず、誰かと価値観を共有している、わかっている、理解している気分をかもしだしやすいかもしれない。今の自粛ムードもそんな側面があるような気がする。でも、考えてみてほしい。無難な安心感で同じ土俵にどさどさ上がってくるから、結局「優劣」でしか「個性」を認識できなくて、慢性的に競争することでしか自分を認められない、ぎすぎすして単調な「同じ」になってしまうことになっていはしないか。自粛やチャリティーさえ競ってはいないか。隣を見て決めてはいないか。
本当に共有したい「同じ」は、みんなで同じことをする、ということにあるわけではないのではないだろうか。

BSですら災害報道一色だった日々が続いて、ある朝テレビをつけてふつうに音楽を流しているチャンネルを発見したときに、私は心の底からほっとした。
私がその音楽の中に見たのは、「過去の日々と戻った」という意味の「ふつう」ではない。今の惨状を忘れられる、という「逃避」でもない。多分、未来への希望。今は、ずっとこのままの今ではなく、人がライブで生きようとする限り、今は変わる。そういう、希望だったと思う。そういうことを説明とか、説得じゃなく、伝えられるのが芸事の力だと思っている。

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