えこひいき日記

2011年6月20日のえこひいき日記

2011.06.20

独身で一人暮らし、自営業でマンション暮らしというのは、この世界では信用がないようだ。「この世界」とは「猫の里親募集サイト」のことである。
独身者は家族や配偶者がいる人間よりも生活状況が変わりやすいと想像されるし、一人暮らしの人間は忙しくなると猫の世話が充分にできないかもしれない。マンションも間取りや広さによっては完全室内飼いの猫にとって快適な住居とはいえないかもしれない。単身者の住居としてのマンションなら、広さに余裕がある住居を得ていることのほうが稀だし。
そういう条件からすると、私は猫の命と生活を任せる上で今ひとつ信用できない人間ということになる。
保護する人間を必要としている猫の幸せを考えれば、審査が厳しくなるのは当然である。出会いがサイトなら当然ながらお互い初対面。基本的に相手が善意ある人であると信じつつもドライでシビアに確認しなくては本当の信頼に発展しないこともある。猫を巡って人間がお互いの信用を測りあう、そのことだけが日々繰り広げられているサイトがある、と思うとなんだか壮大な気持ちにすらなる。

ともあれ、そのサイトを通じて、私はまた猫と暮らすことになった。4歳の男の子猫である。うちにきて2週間ほどになったが、なかなかファンキーな日々である。なんというか、自分がまた猫と暮らすことを決めたことが、意外であったりもするのだ。
とはいえ、もう猫とは暮らさない、と決心していたわけではない。いつかまた猫と暮らすのかもしれない、とは思っていたし、準備のごときこともしてきた。でも自分が何時、どういう理由やきっかけでGOサインを出すのかはわからないでいた。18年暮らした前の猫の存在はでかい。その猫の不在を「埋める」かたちで新たな猫との暮らしを始めるというのにはちょっと気持ちの抵抗があった。だが「忘れてから次」とかいうことも無理だろうとも思った。記憶や思い出というものになっても、私は前の猫のことを忘れないだろう。それが自分を少し辛い気持ちや寂しい気持ちにさせたとしても、だから忘れる、という方向には向かない気がしていた。でも、新しく来た猫と、その猫とを比べてがっかり(?)したり、身代わりみたいにするのもごめんだ。
また、猫が居なくなることで、私は自由を得た。猫の気配で断眠されない自由、クイックル・ワイパーで常に床掃除を掃除しなくてもよい自由。猫の飢えや寂しさに気を使わずにスケジュールを組める自由。18年なかった「自由」。いつかその「自由」を放棄したくなる日が来るのだろうか。そういうタイミングは、はたして何時どうやって来るんだろう、と思っていた。

サイトも積極的に猫を引き取るために見ていたというよりも、「いろんな猫が居るなあ」くらいの気持ちで見ていた。バーチャル猫カフェみたいな感じで。実際、本当にいろんな猫が居るのだ。年齢も、人間との出会い方も、生い立ちも、里親を必要とする理由も。
そうして猫はうちにやってきた。元飼い主さんの事情で引き取りは急に決まり、あまりいろいろな情報がわからないまま(猫の好みとか、これまで食べていたご飯とか)うちの子になった。

猫はアビシニアンである。私にとって、純血種の猫と暮らすのは初めてだし、男の子の猫も初めてだ。だからといって予想や想像の「猫」とどんなに違うのか、というと、大部分変わらない。大部分変わらないからこそ、細部の違いが衝撃的(?)なのだ。小さい頭と長い手足。野生的な見かけと無邪気な王子様的性格。なかなかファンキーである。猫を見に来た友人たちは「なんだか、違う生き物みたい」「負けてる、気がした」などと言った。
私にとって衝撃的(?)だったのは、ほっそい骨盤をしているくせに、おっそろしく食べること。今のところ太る気配はないが、図鑑で見る「アビシニアン」の体型よりも幾分細いくらいなのに、ものすごく食べる。そして、一日一回、猫のものとは思えないようなでっかいうんちをする。尾篭な話で申し訳ないが、本当に驚いたのだ。トイレの回数と量は健康のバロメーターでもあるし、飼い主としては注目する。こちらの到着してから丸一日の間、猫はトイレを使用しなかった。緊張しているのか、それとも具合が悪いのか・・・と心配したが、とにかくよく食べるし、初日からおもちゃで遊んだりもしてくれたんで、様子を見ることにした。2日目に入り、今日一日排泄がなかったら病院だわ、と思っていたら、使用した。そして私は驚愕したのであった。その後もダイナミックな排泄は続いているので、どうやらこれはこの子の「個性」とみなすべきだろう、と判断した。
「個性」の発見は続く。なかなかのハンターで、来て1週間で2個猫じゃらし的なおもちゃを壊した。正確には、紐を噛み千切ったのだ。紐を噛み千切り、眉間にしわを寄せておもちゃの「獲物」を咥えて運ぶ姿はまるで「山猫」である。朝は耳を噛まれて起こされることが多いのだが、やんわり噛んでいるようでいて、その牙は鋭い。物音に敏感。しかしそれ以外は「王子様」。人間を全く敵だと思っていなくて、社交的。いや、社交的というレベルではなくて、おそらく、人間が自分に「敵意」とか「憎しみ」を抱く可能性を想像していない気がする。机や神棚に上ってはいけないことはすぐに理解したが、びくびくしてそうしているのではなく、「おいで」と合図をすると椅子に座っている私の膝にひらりと飛び乗ってくるし、夜は「当然」という感じでそばで眠る。そしてときどきすっと気配が消える。不思議な距離感。

前の猫はすごい存在感だったのだ。何処にいても、何処に居るのかわかった。そしてなんというか、思考的であった。それが18年の歳月をかけてなったものなのか、子猫の頃からの個性であったのか、今となっては記憶が定かではない。今はただ常に「♪~」みたいな新参猫に驚愕する日々なのである。

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